1 はじめに
今日はクリスマス・イブです。
コロナのせいかあまりクリスマス気分ではありません。
商店街に行かないからかなあ。
結局,日本ではショッピングなどの祭りなのかも知れません。
で,今回は,クリスマス・キャロルについて話します。
2 スクルージという生き方
スクルージはケチで無慈悲な人とされています。
登場時点でこういう人物なんですが,そうなってしまった過程があるはずですね。
で,スクルージって人は,最近よく事件で取り上げられる社会に復讐する人と似ている気がします。
つまり,社会が自分に優しくないんだから,自分が社会に優しくする理由はないと。
こういうわけです。
まあ,スクルージは犯罪を犯しているわけではありません。
寄付や従業員の頼みを断っているだけです。
まあ,隣人愛はないでしょうけど。
しかし,程度の差は甚だしいですが,世の中に否定的な気持ちをもつ人ってところは共通しているでしょう。
3 社会に復讐という考え
社会に復讐という考えはどこから生まれるんでしょう。
おそらくは,自分は不当に扱われているという気持ちがあるんじゃないかと思います。
自分は,もっと幸せになっていいはずだ。
そこまではっきりといわなくとも,今の状態は妥当じゃない。
そういう気持ちがあると想像します。
今の状態を仕方ないと思っている人は,社会に復讐するなんて思いつかないでしょう。
そういう意味では,原因帰属が外部や他人なんでしょうね。
社会に対するテロリズムのようにも思えますが,この企ては成功しても幸せになる人や望みがかなう人は現われません。
どこまでも非生産的で,自己満足があるだけのように感じます。
4 スクルージの改心
スクルージは,過去の自分を思いだし,クリスマスに慎ましく生きる人に同情し,未来の惨めな姿に恐怖して改心しました。
自分自身を知ることで改心したともいえます。
しかし,最近のいわゆる「無敵の人」は,どうでしょうか。
自分自身をよく認識することで,思いとどまるでしょうか。
う~ん。
分かりません。
他人が不幸になったからといって,自分が幸せなるわけではない。
そうなんですが,そんなことが分かってもしてしまうのかもしれません。
スクルージよりも,もっと社会を憎んでいる人。
でも,そういう人も最初からそうではなかったと思うのです。
しかし,多面的に自分を知ることは,自分を変えるきっかけになるのではないでしょうか。
5 クリスマスの幽霊はどこにいる?
スクルージはクリスマスの幽霊に導かれました。
考えがかたくなな人には導き役が必要なのでしょう。
スクルージのように,都合良く幽霊は現われないのかもしれません。
もしかすると,現われたのかも知れませんが,幽霊なので見えなかったのかもしれません。
そう思うと,幽霊を見るためには,心に奥に変革の種が置かれてあることを想定しなければならないでしょう。
次の幽霊は見えるかもしれない。
みんながみんな変われるのだ。
そう信じたい気持ちが,私にはあります。
6 最後に
クリスマス・キャロルは,キリスト教説話の一種だ。
そうも読めるでしょう。
しかし,私には,どうしても社会的に不遇な人が救われる話と読めるのです。
どこかで,不遇な自分も救われたいと思っているからかもしれません。
私もクリスマスの幽霊に会ってみたいです。