1 コロナ対策
コロナ対策で出張が中止となりました。
発言の機会が与えられていたので,ずいぶんと準備をしていたのです。
残念です。
何かの形で発表する機会はないのかなあ。
まあ,聴衆の要望もありますので,こちらの思いだけではどうにもなりませんが。
ほんとう残念です。
2 徒労感
何かの目的をもって行動を重ねることはよくあることです。
その目的がなくなってしまった時に徒労感を感じると思います。
世間の方々は,こういう時にどんな対処をしているのでしょう。
ほんと知りたいです。
私の場合は,主な対策などはありません。
ぼおっと,なすがままです。
仕方ないなあという感じですが,悟りを開いているわけではありません。
悔しいなあとも思いますが,所詮自分の手の届かないところで決まってしまったことです。
時間にまかせて感情を放置している感じです。
3 不都合な事実を受け入れる心理
不都合な事実を受け入れる心理の研究があります。
主に,不治の病となった患者が死に至るまでの心理を記録し考察したものだそうです。
それによれば,おおよそ次の過程を経るとのことです。
1 不都合な事実を認めない
不都合な事実そのものがまちがっている。
誤認である。
事実ではない。
このような心理になるそうです。
そして,間違いである証拠を集め始めます。
間違いではないという証拠も見つかるはずなのですが,それには目もくれません。
無視します。
または,それに反する主張に与します。
こういう心理で,自分を守ろうとするのだそうです。
2 不都合な事実に怒る
次の段階は怒りです。
不都合な事実そのものが誤りではないと分かったら,それを覆そうとします。
責任者を探します。
見つけた責任者を追究します。
そして糾弾します。
覆せるものなら覆そうとします。
同調者を募ります。
自分は不当に扱われた者として,同情をさそいます。
このような心理に至るそうです。
しかし,責任者がいる者ならばまだしも,そうではない事柄も世の中には多いですね。
興奮して当たり散らしても,事実が変わることは稀でしょう。
憐憫の気持ちはもった方がいたとしても,意見に同調することは少ないでしょう。
感情を持て余している状態です。
3 静かに受け入れる
どうしても事実が変わらない場合,それを静かに受け入れる方向に進むそうです。
特に自らの命に関わる場合は,穏やかな受け入れをしているように見えるとか。
実際の内面は,その方が語らない限り分かりませんが,怒りの段階とは大きく変わってくるようです。
4 ジョーカーになる
しかしながら,最近事件をを引き起こす「ジョーカー」の存在が気になります。
自分が不当に扱われているのだから社会を不当に扱ってもよい。
社会に復讐してやる。
こんな気持ちになる人です。
この方々に被害にあう方は,別に社会を代表しているわけでも何でもないのですが。
ただただ迷惑な話です。
しかし,例外的にこんな心理になる方もいるようです。
具体的な注意のしようがない気もしますが,気をつけたいと思います。
少なくとも,自分はならないように。
5 受け入れる心理
受け入れる心理には,やはり宗教的な面があるのでしょうか。
仏教的な悟りと似た感じを受けるのですが。
そういう教えの力を借りなくとも,平静な自分でありたいと思います。
具体場面では難しいでしょうけれども。