母の介護認定の見直しがありました。
母はこれまで要介護認定5でした。
5というのは,最も重い段階です。
これ以上はありません。
どうしてそうなったか?
肺炎で入院したことが,そもそもの原因です。
1か月ほど救急救命のある病院に入院しました。
寝たきりでチューブで栄養を摂取していました。
コロナ禍まっただ中でしたので面会もなし。
元々引っ込み思案なこともあり,看護師との意思疎通もうまくいかなかったようです。
チューブが気になるのか何度も抜こうとしたそうです。
そして,いうこともあまりきかないと。
こういうことで,痴呆も進んだと判断され,要介護5となったのでした。
その後,地元の病院に移送されここでも1か月ちょっと入院。
歩行器使用で歩いたり,箸で食事ができるようになり退院。
しかし,迎えに行った時はあまりしゃべりませんでした。
どうも無口が習慣になったようです。
自宅で介護を続けたところ,入院前とはいかないもののたいぶ話せるようになってきました。
父と会話することが刺激になったのだと思います。
相変わらず歩行器利用ですが,体重も重いので仕方のないところです。
それで,介護保険の見直しがあり福祉の職員と面談しました。
トイレ,入浴は介助が必要で,長距離は歩けません。
生活習慣病もあるので通院は続いています。
そんな状態を見取り,要介護認定2となりました。
私は3ぐらいかなと思ったのですが,専門家でもありませんし特に申し立てはしません。
1週間に1度通所サービスを利用しているのと,ベッドや歩行器他をレンタルしているのですが,これも介護保険の限度額まで使ったことはありません。
なので,家計的な問題もありません。
介護保険の認定は,定期的に見直されるのでまた重い判定になることもあるでしょう。
入院時にお世話になったお医者さんが,こういうの(肺炎のこと)を繰り返して老衰が進んでいくと話していました。
今は小休止といったところでしょう。
ちょっとした病気で大きく変化するのが後期高齢者です。
小休止が長く続くことを願います。
さて,この経験から,人間にはコミュニケーションが必要なんだと思いました。
家族との会話がなくなった母は,重い介護認定をいただきました。
家族と会話をするようになった母は,やや軽い判定に変わりました。
病院の方が施設が充実していましたが,会話のある自宅の方が健康にはよかったわけです。
つくづく人間は社会的な動物だと思います。
人間同士関係を持つのが必要なんですね。
アドラーにいわせるとすべてのストレスは対人関係から生じるそうですけど。