ギスカブログ

釣り・読書・ウクレレ「ギスカジカ」のブログ

MENU

夜警国家ならぬ夜警学校

最近、これも学校で教える、あれも学校で教える、という話を多く聞きます。

最も近いところでは、金融教育です。

その前は、プログラミング教育でした。

外国語が教科になったそうです。

これらの改革を聞いて、みなさんはどう感じるのでしょうか。

私はがっかりです。

何やってるんだろう。

つくづくそう思います。

1 例としての「プログラミング教育」

一例としてプログラミング教育を取り上げます。

プログラミング教育と聞いて、どんな内容を想起しますか。

コンピュータ言語を用いて、プログラムを記述することでしょうか。

しかし、実際にはこのようなことはまれに行われるくらいだそうです。

クラッチというソフトを使って、ジグソーパズルにようなピースを組み合わせ、登場人物の動かすということが行われているそうです。

このような活動で、プログラミング思考を身につけるのだとか。

この場合のプログラミング思考というのは、1回に1つの行動をするという命令を組み合わせて、目的地まで登場人物を動かすということです。

これは、何なのでしょう。

要するに、ゴールまでをスモールステップの行動に分けて、順序よく並べるということです。

もっと平たくいうなら、段取りをつけるということでしょう。

プログラミングというほどのものなのでしょうか。

そして、このような思考は、パソコンを使って入力しなければ身に付かないのでしょうか。

疑問です。

しかも、プログラミングという教科があるわけでもないので、1年数時間行うだけなのだとか。

効果はどうなのでしょうか。

日本では、小・中学生に1人1台情報端末を与えました。

これは、コロナのほんとうに必要だったのか疑問の長期休業で、リモート学習ができなかったという反省から、早まったそうです。

それで、どのように使っているかというとプログラミングはほんのわずかで、動画をみたり、簡単な1枚もののスライドを作って交換したりだそうです。

端末の操作には詳しくなるでしょうね。

でも、これって何だろう、情報機器の消費者として習熟しているだけなんじゃないでしょうか。

それを学校でわざわざ習う必要はあるでしょうか。

ないです。

情報機器の使い方なんて、どんどんメーカーが工夫してわかりやすくするし、今に習うほどのことはなくなると思います。

真面目に、こういうことをしたから、未来のスティーブ・ジョブズとかビル・ゲイツが生まれると考えているのかなあ。

生まれたとしても、こんなことをしたからじゃないと思うのです。

2 なぜ、こんなことをするのか

プログラミングに外国語、そこに金融を入れてもいいのですが、なぜこんなことを学ばせようとするのでしょうか。

それは、こういうことを決めているいい大人が自分ができなかったことを下の世代にできるようになってほしいと考えているからでしょう。

自分ができないのは、教えられなかったからだ。

こういう他責思考が透けてみえます。

ほんとに必要かとかは、別にどうでもいいのではないでしょうか。

少し冷静に考えてみてほしいのです。

習ったからといって全員できますか。

忘れていると思いますけど、九九を身につけるのにどれほどの時間をかけたでしょう。

もちろん、すぐ覚えたという人もいますが、クラスには何度も何度と復習させられて、ようやく覚えた級友がいたことと思います。

全員が身につけるということは、そういうことをするのです。

外国語やプログラミングにそこまで求めますか。

1年に数時間、9年やっても100時間までいかないような学習で、どこまで身に付くのでしょうか。

外国語なんか、このことをずっと検証しているようなものです。

話せればいい、ネイティブスピーカーに教えられればいい。

現在の小中学生はALTの生の外国語をずっと聞いていますが、おそらくALTがいなかった時代と、会話力は変わっていないと思います。

問題は、そういうところにはないんですね。

こういうことに血道を上げるのは、徒労だと思います。

3 夜警学校

学校なんて、最低限のことを学べばいいと思うのです。

後は、本人が学べばいい。

いつまでも教えられると思ったら大きなまちがいで、自分で学ぶべきなんです。

なので、学校はお昼を食べたら放課後でいい。

スポーツをしたい人はやればいいし、受験勉強や資格の勉強をしたければやればいい。

最低限のことをして、後は自由にさせる。

こういうのでいいと思うのです。

今はどうかわかりませんが、私が高校生の頃は学校の勉強は大学受験の役に立ちませんでした。

内容のレベルが低すぎて。

きっと、国の基準はクリアしている授業だったと思うのですが、求めているレベルには遠かったのです。

別に自分で勉強する必要がありました。

こういう生徒の求めと学校の与えることのギャップはどこでも生じる可能性があるのだから、必要最低限の他は自由してあげればいいと思うのです。

それで、学ばないとすれば。

まあ墜ちていくのも自由ですからね。

そこで人生を考えるのも、勉強だと思います。