Loudnessというバンドをご存じでしょうか。
日本のヘヴィメタルの草分けのようなバンドです。
1981年にデビューしているので40年選手です。
実は昨日から聴いていて、少し感傷的になっていました。
1 Loudnessの音楽
私が聴いていた時期はひどく狭く、80年代の後半です。
アトランティックレコードからアルバムを出していた頃です。
Loudnessは海外進出をねらっていて、全曲英語で歌っていました。
Loudnessがどんなバンドかというと、ラウドなギターとドラム、ハイトーンの叫ぶようなヴォーカルが8ビートのロックを演奏するという感じです。
80年代に一部で流行したヘヴィメタルそのもので権化のような音です。
そして、長髪と革やチェーンを使った衣装。
まさにヘヴィメタルの記号的な要素が満載でした。
一番の売りは、高崎のギター。
タッピングというギターの指板を直接叩いて音を出す奏法を得意としていました。
タッピングはピックによるアタック音がないので、これを高速で演奏すると、ビデオゲームのピコピコ音に似てきます。
が、通常の奏法では考えられないような音程差を高速で演奏できるため、ギター少年たちは夢中になっていました。
しかし、これはファンの間の話。
一般の人たちには、ヘヴィメタルは変わった音楽を変わった衣装でやる人たちという認識が強く、敬遠されていたと思います。
2 自分のとってのラウドネス
私はギターを弾いていましたので、高崎のギターに注目して聴いていました。
高速タッピングはできませんでしたけど、Loudnessの曲のバッキング、つまり伴奏ですね、これがとてもきっちりしていまして、いい練習になりましたし、弾いていて気持ちよいので、よく演奏していました。
タッピング自体があまり好きではなかったのもあったのですけどね。
しかし、考えてみれば、よく聴いていたのはたった1枚のアルバムだけでした。
アトランティックからの第1弾、Thunder in the East。
聴いていたのこればかりです。
他のも一応持っていたのですが、繰り返して聴いたのはこれです。
ヘヴィメタルという音楽は、少し人工的なというか機械的なところがあって、特に80年代はそれが強調されているところがあるのですが、80年代ってそういう近未来的なものに対する憧憬みたいなのが時代の雰囲気でして、それにこのアルバムが一番合っているように感じてました。
なので、私にとってのLoudnessは、どうしても時代から切り離して考えることができないバンドになっています。
今も続いている現役のロッカーなのは、当然知っていますけど。
3 再び聴いたきっかけ
実は再び聴いたのは、この動画を見たからです。
カバーなんですけど、すごく80年代のLoudnessのいいところが出ています。
実は、この曲が入っているアルバムは聴いていなかったんです。
このアルバムの直前にメンバーチェンジがありまして、ヴォーカルがアメリカ人に変わったんですよ。
Loudnessはよくもわるくも、初代のヴォーカルのくせのある歌い方がバンドの個性だったので、それがまあいろいろあったのは一リスナーからも想像できましたけど、変わってしまって、そのことが自分のロックの時代が終わった象徴のような感じがして、興味をなくしてしまったんですね。
そんな踏ん切りの楽曲を若い世代がカバーしていることに興味を持ったんです。
この時期の楽曲をロックギタリストが演奏するのはわかります。
テクニカルで挑戦しがいがあるし、楽しいと思いますから。
しかし、服装その他にヘヴィメタル要素はまったくありませんね。
楽曲だけが生き残っている感じがします。
初めて聴いた楽曲だったんですけどまさにLoudness、すごく懐かしくなってギターを引っ張り出してきたくらいです。
もう指の筋力の衰えがすごくて、自分でもびっくりしましたけど。
でも、またこういうギターオリエンテッドな音楽への興味が高まりました。
4 興味関心が持てる心を保つには
今回は、すごく散漫な文章になっていますね。
何が書きたかったというと、というかこんなフレーズを書くこと自体筆力がないことをバラしているようなもんですけど、Loudnessの音楽を聴いて自分の心が活力を取り戻したような感じがありまして、ああ、こんな風にまだ自分の心にも力が残っているんだということや力を取り戻すにはどうしたらいいかなんてことを思い、それを書きたかったんです。
あと数年で還暦ですけど、まだ興味関心が持てるんだなあ。
今が一番若いとは、チープな諫言で、それ自体は心に響かないことが多いのですが、実際に自分の心の中に若さを見つけると、力が湧いてくるような気がします。
もっと、いろいろなことに感動していくにはどうしたらいいのだろう。
古いLoudnessの音楽を聴きながら、そんなことばかり考えていました。