ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

道の駅「高田松原」に行ってきた

文化の日です。

文化の日は、日本国憲法が公布された日で、明治天皇の誕生日だそうです。

が、ごく私的な記念日でもあります。

なので、出かけることにしました。

とはいっても、目的も特にはなく。

行ったことがないところと考えて、三陸道を北に行ったことがなかったと思いつきました。

いや近所は行くのに使ったことはあるんですよ。

無料区間が長いので国道代わりになってますからね。

でも、岩手県に行ったことはなくて。

とはいえ、明日も出勤日。

とりあえずの近くまで行くことにしました。

1 気仙沼湾横断橋

三陸道は海沿いの自動車専用道路なのですが、比較的山側を通しています。

おそらくは土地の収用が楽だったことと、津波対策と思われます。

なので、風光明媚なところはあまりありません。

山の中を道路が通っているって感じです。

かつての線路、気仙沼線は海沿いを通っていて、ここは風景をながめているだけでも気持ちが癒やされたものでした。

しかし、この前の津波で寸断されてしまい、もう残っていません。

それを思えば、山側を通したのは賢明だったと思います。

唯一、三陸道でスペクタクルなところがあります。

気仙沼湾横断橋です。

気仙沼湾を南北に渡っている橋で、気仙沼大島やそこに渡る橋もきれいに見えます。

震災後に三陸道の計画書を見たとき、マジかとは思いました。

津波でほとんどががれきになったのに湾の上に橋を通すなんて。

正気じゃないと思いましたね。

たくさんの橋が津波に流されたんですよ。

その時に知ったんですけど、橋って自重で乗ってるだけなんです。

なので水没すると流されてしまうのでした。

あんな重いものがねえ。

という思いがあったのですが、この横断橋は、桁下高が32mあるそうです。

さすがにこの高さの津波はこない。

そう考えたのでしょうね。

しかし、もうみんな忘れてますが想定外は普通に起きますから。

油断は大敵。

でも、確かにこの橋からの眺めはきれいです。

一見の価値ありです。

2 道の駅「高田松原

震災後、陸前高田市に入るのは初めてです。

震災前は、気仙川って釣り場としても有名だったので、何度か行ったことがありました。

昔の道の駅の道路向かいに釣り具店があって、そこでダイワのスピニングロッドを買った覚えがあります。

5.9フィートの安物ロッドだったそれは、沼に海に大活躍でした。

メバルにこり始めてからは短さから使わなくなり、最終的にはハードオフでさよならしましたが。

今でも、5.9フィートという半端な長さのロッドをみつけると手にとってしまいます。

さて、昔の道の駅も建物が残っていましたが、その西側に新しい道の駅が建っていました。

きれいな建物です。

建物からは、こんな感じで防潮堤と砂浜につながっています。

かつて松林があったところには何もありません。

松は潮風避けに植林されていたのでしょう。

今後、植えるのかな。

三陸地方でも砂浜に松林はよくあったのですが、津波以降はあまり聞かなくなってます。

植林したということも。

あまり報道されてませんが、津波は松を根ごと掘り起こして流していき、多くの家屋にぶつかって破壊しました。

まったく波よけにはなりませんでした。

松林にいい印象がなくなったのかもしれません。

風化されれば、植えるところも増えるでしょうけど。

あと潮水にも弱いんですね。

潮風には強いんですが、波を被ったら数ヶ月で枯れ始めました。

松と竹は潮水に弱かったなあ。

さて道の駅ですが、すっかり観光拠点です。

おもしろい乗り物がありました。

電動の小さなバスです。

中はテーブルを囲むような前後席になっていて、グループでゆったりできるようでした。

運転手によるガイド付きだそうです。

初めて来た方にはいいと思います。

さて、高田松原と言えば、奇跡の一本松。

知っている人は知っていますが、本物は枯れてしまい今あるのはレプリカです。

スマホで遠くから撮ったので、こんな粗い画像ですがお許しください。

こちらは観光客はあまりいませんでした。

津波に負けない象徴だったのですが、何度も見るようなものでもないですからね。

私が想像していたよりも気仙川よりでした。

でも、よくあの津波で流されなかったなあ。

奇跡と思った当時の人たちの気持ちがしのばれます。

3 最後に

新しいところに行くつもりが、震災の思い出を振りかえる旅となってしまいました。

一つの大きな経験をすると、どうしてもそれに結びつけてしまいます。

こういう気持ちが自然に湧いてこなくなったときに、震災が過去のことになるのだと思います。

出かけてよかったと思いました。