人は自分が見たいものしか見えない。
これは人生の警句であると同時に心理学上最も大切な真理です。
心理学で明らかにされることのほとんどは、この延長線上にあるといえます。
本書はこれを正面から扱った著作です。
とても興味深い内容でした。
まずは、そこにあるものが見えない、目に見えているものが見えない、という現象です。
ものすごく分かりやすい実験が示されました。
バスケットボールの試合の映像を見て、パスの数を数えるという課題の実験です。
その映像の途中にゴリラの着ぐるみを来た選手が横切ります。
しかし、パスを数えた人の半数はこれに気づきません。
後で映像を見返すと驚いたり、映像が差し替えられていると話したりと様々な反応を見せました。
そのくらいゴリラは分かりやすく写っていたということです。
人間は集中していると、大事ではないものは見えない。
というか認識しない。
そういうことがあるのです。
私が思うに、これは人間の思考リソースが限られているからだと思います。
人間の脳は大きなエネルギーを消費します。
できるだけ省エネに努めたい。
思考をパターン化したり、最低限のものに集中したい。
こういうように常に働いています。
そして、合理的に物事をとらえたい。
これも理性があるからというよりは、パターン化の一種にように思います。
原則と応用ととらえれば、原則だけを覚えていればいいですから。
このことで、網膜に写ったもの、鼓膜を揺らしたものなど五感に届いたものを人間はすべて認識するわけではないのでしょう。
しかし、希望的に考えれば半数はゴリラを認識したわけで、そんなに悪い成績でもないように思えます。
もしかすると、半数はまじめに課題に向き合っていなかったのかもしれませんけれど。
この他にも、多くの錯覚、というか非合理な認識の例が多く紹介されます。
例えば、他人の経験を自分のものと考えるという例です。
これは個人的に他人がしていたのを経験したことがありました。
子供の頃だったので、頭が悪いんだなあぐらいの感想だったんですが、ヒラリー・クリントンの例が挙げられていまして、知能は関係ないんだと認識を改めました。
記憶が変わるのは、心理学実験ではよくある話で、白人の犯人がいつのまにか黒人に変わっているという報告を読んだことがあります。
思い込みと偏見だと思っていたのですが、そればかりではないようですね。
自分の実力を過大評価するという例も挙げられていました。
これは日常的にもあることだと思います。
実力が低い者がそうなりがちというのは、さみしい話ですけれども。
話題はずれますけど、自己評価は客観的であればあるほど絶望が押し寄せてくるので、多少げたを履かせた方が、精神衛生上いいように思ってます。
あくまで個人的な意見です。
その他は、疑似科学と詐欺に関わるような話題となります。
例えば、専門用語は煙を巻くためにあるとか、相関関係と因果関係の誤認は陰謀論を信じるの第一歩とか、サブリミナル効果や脳トレとか、です。
落ち着いて検証してみれば分かりそうですが、こうあってほしいという願望があるとそうはいかないものなんですね。
超能力が出てくる話でよくある、人間は脳の10%しか能力を使っていないなども一例としてあげられていました。
さて、この本は錯覚というか人間の誤認、そして誤認を真実と信じ込む仕組みについて多くのことを教えてくれます。
こういうことを知っていると、より適切な反省というものができるのではないかと思いました。
私も、特に仕事上は、自分の確認が一番信用できない、と思っています。
それでもやっぱりまちがえてしまうのですが。