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アドラー心理学の対人関係論

すべての悩みは対人関係から生じる。

アドラーはそう断言します。

確かに、社会生活を行う上で、対人関係は大きな悩みとなります。

会社もそう、ご近所もそう、家族・夫婦間だってそうです。

しかし、それがすべてではないように感じます。

個人の中にある悩み、人は関係せず自分だけの悩み、そういうものもありそうです。

しかし、アドラーは悩みは対人関係から生じるというのです。

一体どういうことなのでしょうか。

アドラーのいう対人関係は、実はこういうことのようです。

1 劣等感と劣等コンプレックス

例えば、背が低いということで悩んでいる人がいるとします。

もし、宇宙に存在するのが自分一人だけなら、この悩みは存在しません。

比較するものがないのだから悩みにならないのです。

このように、悩みというものには常に他者の陰がある。

アドラーはそういいます。

およそ、いわゆる「劣等感」といわれるものは、他者との比較から生じているのだと、アドラーは断言します。

しかし、ならば一人一人の「劣等感」など感じず、現状のままでいればいい。

このようには、アドラーは考えません。

アドラーは人間には「優越性の追求」という欲求があるといいます。

それは、無力な状態から脱したい、向上したいという欲求です。

ですので、現在の自分が劣等な状態にあると感じることが普通のことだといいます。

このような劣等感は、人間は誰しももっているというのです。

しかしこの劣等感はいわゆる「劣等感」と同じではありません。

劣等感は理想の状態と比べて感じること。

「劣等感」は他人と比べて感じること・

この「劣等感」のことをアドラーは劣等コンプレックスといい、劣等感とは別のものであるとしました。

2 他人との競争は復讐に帰着する

理想の自分と比較し、追求の道を歩んでいればよいのですが、他人との比較から他人との競争に進む人がいます。

いわばライバルなどといって、それを称賛する向きもあるでしょう。

しかし、それはライバルなどといった心許せる間に留まりません。

勝っても負けても、相手を蔑んだり自分に絶望したりして、心安まる時はありません。

こういう気持ちが続いていくと、相手は、いや他人はどのように見えてくるでしょうか。

敵に見えてきます。

世界は敵に満ちた恐ろしい場所である。

そのような認識に至るのです。

だから、心安らかになるには、この競争から降りなければなりません。

他人と競争することをやめるのです。

資質や能力の差はそのままに、互いに一人の人間として尊重する。

他人を仲間と思うようになる。

そうすることによって、劣等コップレックスから解放され、心安らかに過ごすことができるようになるのです。

例えば、リストカットを繰り返す少女、それは自分を思い通りにコントロールした両親への復讐なのかもしれません。

競争で負けた時、それですべてが終わるわけではありません。

負けた者の、別の形ので復讐が始まるのです。

ここまで進んでしまうと、当事者だけでの解決は不可能になる。

だから、他人との競争や戦いをしてはならないのです。

他人との競争から降りること、それは負けでもなんでもない。

アドラーはそういいます。

3 総評

すべての悩みは人間関係から生じる、とまで断言できるほど達観していませんが、アドラーのいうことは生活実感としてわかるところがあります。

一人一人はそのままで価値があるということを、建前のように話す人がいることは事実ですが、優越性の追求をしていく人にとっては、それは真実なのだろうと思います。

つまり、理想を追い求める人は、そのままですばらしい。

そういえるでしょう。

もちろん、理想を追い求めるところに至っていない人にも価値はあるとアドラーはいうと思いますが。

前回の目的論と同じく、アドラーの心理学は人間に行動を促す勇気を求めるところがあります。

その意味で、厳しい心理学なのだともいえるでしょう。