ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

【書評】山折哲雄「ブッダは、なぜ子を捨てたか」

宗教学の専門家が書いた新書です。

ブッダが子を捨てて家出をしたのはなぜか、ということを中心にすえた仏教入門書でした。

多くの読者をひきつけるためのタイトルとは思うのですが、どうなんでしょう。

仏教というのは、不幸を認識しないための教えです。

そのためにありとあらゆることに執着してはいけないと教えています。

なので、自分の子にも執着しないのは当然のように思います。

だから、ブッダは、なぜ子を捨てたか?と問われれば、すべてを捨てたらその中に子も含まれていた、と答えるだけでしょう。

仏教を知っていれば、それはそうだろうと思うだけで、意外性はありません。

加えて筆者は、ブッダが子に悪魔という意味の名前を付けた理由も考察します。

筆者の答えは、悪魔と名付けることで子を捨てたのだ、ということでした。

ちょっと何を言っているのかわかりません。

価値ある名前を付けることも、マイナスの意味の名前を付けることも子にこだわるという意味では執着です。

マイナスの名前を付けて捨てたっていうのは、本当は捨ててないんじゃないでしょうか。

愛の反対は無関心といったのはマザー・テレサでしたけど、ブッダの態度としては無関心が一番よかったんじゃないかと思うのです。

仏教に詳しくないわたしの感想ですが、仏教は幸福になるための教えではなく、不幸にならないための教えだと思います。

それには、不幸と認識しなければよいと考えたのでしょう。

ですから、不幸を生じさせるあらゆるものから距離を取る。

そして心の平穏をえる。

とまあこんな感じです。

斜めから見れば、人間的な感情を捨てて非人間的になる教えとも見えます。

よく映画などの創作物で非人間的な敵役として冷酷で感情を表さない人物が描かれます。

しかし、あれは感情の方向が真逆なだけで、マイナスな方向に感情豊かなんだと思います。

本当に感情がない人物は仏教の教えを体現した人物ではないかと思うのです。

仏教は個人の解脱が主な関心事なので、社会には関心が薄いという面があります。

輪廻転生を断ち切った仏陀がたくさん現れるようになれば、カーストの考えを否定できそうだし、インド社会が変わる契機になりそうなんですが、そうはなりませんでした。

仏陀がとてつもない修行の果てになるものじゃなくて、誰でも到達できるものだったらずいぶん違っていたように思います。

さて本書ですが、刺激的なタイトルでしたがそんなに刺激を受けませんでした。

まだブッダになってなかった釈迦が、子というか家族を捨てて修行にでた。

そんな話でした。

インドならそういうこともあるかもしれない。

と思ったくらいでした。