1 震災後の「坂の上の雲」
2016年初刊の平田オリザさんの著作です。
つまりは国家の盛衰の坂。
下り坂となったその坂を、転ばないようにそろそろと下る。
そういう題名です。
既に、この題名に著者の現状認識が表れています。
つまり、日本は下り坂である。
そういう認識です。
具体的には、成長が鈍化した経済、人口減少社会。
そういうことが「下り坂」なのです。
そこを「そろそろと下る」とは、どういう振る舞いを指しているのでしょう。
本書の内容に沿って考えてみます。
2 地方の在り方
人口減少社会は、地方に端的に表れます。
若者の減少、高齢化、シャッター商店街。
これら要因について、筆者はどう考えているのでしょう。
若者が流出する要因を筆者はこのように述べます。
仕事がないから都会に出ると、地方の首長らは考え、工業団地を造成して工場を誘致する。
しかし、真の要因はそこにはない。
若者は地方にはなにもないという。
つまり、楽しめること・わくわくすること、そういうことがまったくない。
結果、恋人と出会うこともない。
だから、そういうものがある場所という幻想をいだいて都会に出る。
つまり、生活できないから住まないのではなく、生活に夢がないから住まないのだ。
こういう主張です。
これは一理あるなあと思いました。
人間は、やっぱりパンのみで生きてるわけじゃないんですね。
そして夢のないところには、IターンもJターンもなく、ましてやUターンなどあろうはずがない。
高齢化が進むばかりとなる。
こういうわけです。
これを変えるために、演劇の演出家らしく筆者は、文化が必要だといいます。
小豆島の学校での演劇の取り組み、城崎温泉でのアーティストがいる街づくり、四国学院大学での演劇を取り入れたカリキュラム。
一流の芸術家が日常生活にいるという環境をつくり、地方の魅力を高める。
そういう取り組みによって、交流人口を増やし、地方を活性化させていく。
自らが関わった地方の取り組みを具体的に挙げていきます。
なるほど、箱物に頼った地方創生とは一線を画した活動です。
地方の魅力を高め、人を集めることになるでしょう。
筆者は、これまでの地方振興の取り組みにはかなり懐疑的です。
公共事業や地方交付税。
公共事業で仕事を増やしても、買い物はその地方では行われない。
高速道路で少し大きな都市に移動したり、チェーン店で買い物し東京本社に利益が渡る。
「地産地消」をうたっても、そもそも輸入食品の割合が高い国では、お金は地方に留まらない。
やはり地方で暮らしたいと人々に思わせる何かがないといけないかもしれません。
「文化」という視点は、考慮に値すると思いました。
3 アジア唯一の先進国ではない
筆者は、日本がもはやアジア唯一の先進国ではないことに慣れていないと述べます。
韓国に対する嫌悪、嫌韓は、韓国が同等以上になったからだといいます。
そして中国の台頭にも慣れていない。
アジア唯一の先進国ではなくなった現在の振る舞いに戸惑っている。
筆者の認識はそうなのだと思います。
中国はともかく、韓国を嫌っているのは同等とか格上とかそういうのではなく、際限なく和解を拒むことへの嫌気ではないかと思うのですが、わたしも専門家ではないのでおいておきましょう。
とはいえ、世界における日本の位置づけの変化が一国民のアイデンティティに関わるというのは、いかにも国民国家的な現代的状況ですね。
位置づけなどは、現実的利害がぶつかる外交で実際的な効果を持つとは思えませんし、仮に自分の国家が一流だとしても、それが自分自身の質の保証にはならないわけで、なんとも虚しい議論のような気がします。
筆者は右翼も左翼も否定しているので、どちらかの立場に立って論じているわけでもないでしょうし、本書もそういった政治的視点から論じた著作ではありません。
「下り坂」を歩く日本の危うさという点から述べているだけなのでしょう。
つまりは、「下り坂」を転ばぬようそろそろと下るために、このようなことにも気を付けないといけない。
そういう主張なのだと思います。
4 総評
上り坂を歩き始めた「坂の上の雲」の時代と現代を比較して述べた社会評論ではあるのですが、「下り」という認識がどうなのかなあと思いました。
先進国的低成長、つまりあまり変化のない時期に入った日本の戸惑いというくらいが適切ではないかと思います。
「イギリス病」という状況がありました。
それになぞらえれば、90年代以降の日本は「日本病」といってもよい状況でしょう。
しかし「イギリス病」が幻影だったという説があるように、今の日本の状況もあるべき普通の姿なのかもしれません。
そうした現代日本をどう生きるか。
こういう視点を与えてくれるという点で、本書は意味があるように思いました。