1 デフレ世代のエッセイ
新書にしては変わった題名だったので手に取ってみました。
正体は,新聞コラムをまとめたもの,日常エッセイです。
社会との不適合に悩む筆者が,日常のあれこれを考察するというスタイル。
そこに親世代との比較が入ります。
世代論というのは,単純化するのでわかりやすくなりますが、だいたいは過度に一般化しすぎるので、(それほんと?)みたいになります。
その世代固有の社会的な条件の中でどう生きたかという視点でみるとおもしろいのですが。
2 戦後教育第一世代とデフレ世代
筆者のご両親は戦後教育第一世代とのことです。
お父さんは地方国立大学を出て会社を勤め上げた方。
質素倹約が旨で、自動車やエアコンを80年代まで持たなかったとか。
お母さんはスポーツができ女子大の家政科卒で専業主婦。
自分でつくった服を子どもに与え、お総菜を買わないような方だそうです。
周りの家でちがっていて…と著者は語りますが、立派なご両親だと思います。
自分は、デフレ世代で会社もやめて大学院に行き、詩人もしている。
両親と人生の考え方が合わずに苦労していたと話します。
まあ、親と考え方が合わないのはよくある話です。
そこでの自立の仕方が、その人の人生だと思います。
3 「普通」へのノスタルジア
世代間闘争に加えて、筆者は同世代からの疎外感もあったそうです。
たいへんですね。
通信簿に協調性がないと書かれて納得できなかったという筆者。
常に真意をかくして妥協していたといいます。
まあ協調性と共感性や妥協はちがうものだとは思います。
図書館の本をすべて読むくらいの読書家だったそうで、友達と話を合わせるために好きじゃないアニメを見ていたそうです。
多数派じゃなかったことは、確かですね。
そういうことから、「普通」であろうと擬態していたのだとか。
たいへんでしたね。
ここまで同世代の中で異質な方が世代間闘争などを語るのも、不思議な感じします。
世代の代表というか典型にはなれないでしょうに。
しかしです。
典型的な「普通」の人って、どこにいたのでしょう?
よく考えれば、みんな個人だったのではないでしょうか。
4 総評
ここまでの書きぶりからもれ出していますが、わたしは筆者に共感できません。
「日本社会の幸福史」とのことですが、自分の経験からあれこれ考察しているだけです。
例えば、わたしの両親は戦中・戦後派で中卒です。
高度経済成長の恩恵ではない局所的な景気のよさの恩恵を受けて過ごしてきました。
文学は好みませんが、家には新聞と文藝春秋があり、子どもに百科事典を買い与えるような人でした。
中卒ですから、大学も知りませんし、一般的な会社も知りません。
終身雇用的な考えはまったくありません。
その一方で農地ももっていませんから農村的価値観もありません。
しかし、人生の在り方については考えがあり、家族の幸せになる行動をとってきました。
このような親とわたしの考えは、もちろんちがっていますし、妥協もしませんがそれでも認め合っているところはあります。
こういう人は何世代に入るのでしょうか。
入ったとして、その世代の多数派ではありません。
わたしの親世代で大学に行った人も今よりは少数ですがいますし、会社員になった人もいます。
世代の中でも多様なんです。
世代というのはその方が生きた時代の社会条件のようなもので、その社会条件に対して各人がどう生きたかは人それぞれなんです。
わたしはバブル世代ですが、入社接待も受けてませんしタクシー使い放題も経験ありません。
そんなものです。
これを「日本の幸福史」というのであれば、わたしの親やわたしはその日本にいなかったということになるでしょう。
まあ評論としてはどうかと思いますが、幸福とは何かを考えたエッセイとしてならおもしろいと思いました。
続巻もあるようなので、読んでみたいと思います。