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書評「フェミニストカウンセリングの実践」

カウンセリングに興味があります。

しかし、そこにフェミニストをつけるとイメージが変わります。

フェミニストカウンセリング。

さて、カウンセリングとして成立するのでしょうか。

1 定義

本書では、フェミニストカウンセリングをどのように定義しているのでしょうか。

実はこうだと言い切った表現があまりありません。

「男性中心の伝統的なカウンセリング批判を基盤として誕生した女性中心のカウンセリング」

わかるようでわからない表現です。

内容が不明確だからです。

「女性クライエントの心理的困難や問題の原因を、その女性の生得的な個人的欠陥でも、生育歴の問題でもなく、むしろ家父長制的社会における文化的要因に帰するべきと考えている」

この表現を原因帰属の理論で分析してほしいくらいです。

こういう姿勢でカウンセリングを行うのでしょうか。

それはカウンセリングなのでしょうか。

そもそもですよ。

カウンセリングやカウンセリング心理学に伝統的というほど歴史もなく、またオーソドックスな手法も確立していないのが現状です。

そして問題の原因を個人的欠陥とするような臨床心理学派はあったでしょうか。

もう事実認識からあやしいというか何というか。

この本の中で、具体的に批判されている説、学派などはありません。

そのための論文の引用もありません。

フェミニストカウンセリングの実態は空虚です。

2 効用

それでも、フェミニストカウンセリングによって救われた人がいるらしいのです。

性犯罪被害にあった女性がカウンセリングを受けて、さらに傷ついてしまったクライエント。

誰かの理想の母親像を押しつけられ、そのようにできない自分を責めているクライエント。

こういう方々の心理をやわらげる働きをしたとか。

とここまで書いて、これ「フェミニスト」カウンセリングでないと救えなかったのでしょうか。

そもそも、一つめの例は、相談したカウンセラーがジェンダー意識に関係なくおかしいし、二つめは認知行動療法に頼るまでもなく、最初の思い込みがおかしい。

理想の母親像なんて今の社会で統一された観念がありますか。

なので、フェミニストじゃなくても、まともなカウンセラーなら柔らげることができるような例です。

男性中心の思想のカウンセラーがいたとして、その人がクライエントに自分の考えを押しつけますかね。

押しつけたとしたら、もうカウンセラーじゃないと思うのですが。

3 総論

一般に行われるカウンセリングが、「男性中心社会」を維持・強化する機能を有しているのであれば、この本に述べられていることは価値があります。

しかし、女性が生きにくい社会というもは、社会や文化や制度の問題であって、臨床心理学の問題ではないように思います。

生きにくい女性を支援する活動をなさってきた方には敬意を持ちますが、その活動をフェミニストカウンセリングとし、活動の一環としてその他のカウンセリングを批判することには賛成しかねます。

論理的に成立していないからです。

女性に限らず、心理的な障害を抱えた方を支援するのがカウンセリングです。

カウンセリングは、女性も含めて、みんなの力になればいいと思うのです。