今日は、子供のカウンセリング現場についての書かれた本を読みました。
「子どもの心が傷つくとき」という本です。
事例中心なので、とても興味深く読みました。
印象に残ったことを話します。
主として子供の心が傷ついているとき、大きな要因は大人にあるというのが筆者の主張です。
筆者はカウンセラーなのですが、カウンセリングに来た子供に対応するうちに、その子供の家族や親子関係に問題があることに気づいていきます。
その問題が子供に刺激を与えることによって様々な問題が子供に現れてくる。
不登校であったり、リストカットであったり、引きこもりであったりです。
こういう構造があるので、子供の心が傷つくときというよりは、傷つけられ続けるとといった内容になっています。
特に印象に残った事例は、小学校低学年で落ち着かず暴れている男児の例です。
この子は授業をまともに受けず、友達とも暴力がらみのいさかいを起こし、教師の指導も受け入れません。
結果、母か祖母が学校に来て「監視」をしている状態です。
病院からADHDと診断され、薬を処方されますが薬が切れる午後にはまた暴れるといった感じだったそうです。
父は子育てに無関心だったそうで、既に離婚している状態でした。
祖母は厳しくしつけることがこの子のためになるとして叱るばかりだったそうです。
母も学校にいわれたから仕方なくカウンセリングに来たという感じだったそうですが、しだいにカウンセラーに心を開きともに考え始めたとのこと。
遊戯療法の中で現れた父への屈折した思いを解消することで、この子の荒れは収まっていったとのことでした。
読んでいて思ったのは、この子は愛着障害だろうなあということです。
愛着障害は表面上ADHDとほぼ変わらない様子・行動を示しますが、根本の原因が異なるので、医療行為だけでは解決しないことが多いです。
この子は、薬が効いていたということですから、小さなADHDの芽を愛着障害が育てていたのでしょう。
そういうケースはよくあります。
このケースでは、マイナスの刺激になっている母と祖母の「監視」をやめさせたり、この子の気持ちを表せる場や環境を整えたりすることで改善していったようです。
筆者は、このようなケースではクライエントが立ち直るための治療空間が必要であるといいます。
それは物理空間だけではなく、想像上の空間でもいいとのことです。
心理的に癒やすための空間です。
そこでは、わがままに見えるかもしれないが甘えさせてほしいといいます。
そういう空間が傷ついた子供たちには必要なのだと。
この子にとって、遊戯療法をする空間と話を聞いてくれるカウンセラーがその役割を秦氏のでしょう。
そしてよくない刺激となっていた家族による環境も改善されました。
そういうことで、症状が収まっていったのだといいます。
幸福なケースだと思います。
不幸な場合だと、治療空間もままならず、また家族の養育方針や子供へのかかわり方などを変えることもできず、結局そのまま成長してしまうということになってしまいます。
ADHDが無秩序に騒ぐのは小さい頃だけで、後は切れやすい面倒くさい大人になることが多いのですが、家族の問題や対人関係の問題、注意欠陥による失敗等はそのまま残ります。
そして成人後は自分が困るだけとなるケースが多いと思います。
さて、治療空間はともかく、家族のかかわり方を変化させることは大変難しいでしょう。
家族関係の問題を自覚していたとしても、家族にもそれぞれの事情があったり家族の誰かが心理的問題を抱えていたりということがあり、子供へのかかわりを変えようにも変えられない場合がままあります。
このケースは本当に幸福なケースだと思いました。
心理的な問題の解決は、本人の治癒力に依存するところが大きく、その治癒力を高めることが対策の中心となります。
しかし、本人の意志や薬物治療と異なり、家族による環境要因というものは本当に変更しにくいものです。
この本は幸福な例がいくつも挙げられていました。
すべてのケースがよい結末を迎えてほしいと思いますが、現実は難しいでしょう。
それでも対応していかなければならないのですが。