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「大造じいさん」への違和感

 今回は「大造じいさんとがん」について感じていた違和感について話したいと思います。

1「釣りキチ三平」のおもしろさ

 マンガ「釣りキチ三平」が大好きでした。釣り好きだったことも理由の一つですが,それだけではありません。
 主人公三平の明るい性格,魅力満点の巨大怪魚,そして知恵を尽くして怪魚を釣り上げる駆け引き,楽しませる要素がこれでもかと入っていました。
 ライバルともいえる釣り人と対決する話もあり,これはこれでスポーツのようでおもしろかったのですが,どちらかといえば,怪魚を釣り上げる話のほうが好きでした。
 怪魚の性質や特徴が少しずつ明らかになる過程も,謎解きのようでわくわくしましたね。
 さて,三平の魚に対する態度は,釣る前も釣った後もそんなに変わりません。
 元の水に放すことが多いのですが,魚と心を通わせるといった表現はあまりありません。
 放した魚に一言二言話しかけることもありますが,一方的に話している感じです。
 一般の釣り人とそう違いはないように思います。
 このマンガに夢中になっていたころは,こんなことを考えたこともありませんでした。
 三平は釣り人,魚は釣られるもの,三平も時には,釣りは人間と魚の知恵比べと話します。
 しかし,そうはいっても,このことは人間と魚が対等であるということではないと思います。
 なぜって,それは釣りですから。
 私にとって「釣りキチ三平」のおもしろさは,主人公が釣りを最大限楽しんでいることにつきるのです。

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2 大造じいさんへの違和感

 「大造じいさんとがん」も「ごんぎつね」と同じく,ほとんどの小学校5年生の教科書に載っています。
 なので,あらすじなどは省略します。
 この物語も人間と動物の対決の物語です。
 釣りではなく狩猟ですが,構図は「釣りキチ三平」とほぼ同じといってよいでしょう。
 とはいっても,釣り上げて終わることが多い三平とは異なり,大造じいさんは残雪を撃つことはできませんでした。
 偶然からなる幸運で撃つチャンスを得たけれど撃たなかったという場面はありますが,猟師としての大造じいさんは成功をせずに物語を終えます。
 よくできた物語なのですが,私は「釣りキチ三平」のように好きにはなれませんでした。
 それは主人公が成功しなかったからではありません。
 大造じいさんに猟師としてのあり方に共感できなかったからです。
 大造じいさんは失敗をすると,相手のがんを褒め称えます。ある種のスポーツマンシップのようでもあるのですが,どちらかというと,自分の失敗の言い訳に相手を持ち上げているようなのです。
 もちろん,失敗すれば新たな工夫をして再挑戦をするので,見苦しい言い訳男ではないのですが,どうもすっきりとしないのです。
 作中,がんはあまりりこうな鳥ではないと述べられていることも,その感じを強めているように思います。
 もしかして,猟師と鳥が対等な関係と本気で思っているのか,と疑いたくなります。

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3 帰属について

 「帰属」とは心理学の考え方で,出来事の原因や理由を何に求めるかを考えることだそうです。
 内的帰属とは,自分自身に原因や理由をを求め,外的帰属とは状況や他人に原因や理由を求めることです。
 コップを落として割ったという出来事について,自分の不注意と考えるのが内的帰属,コップがすべりやすかったからとか他人に声をかけられたからと考えるのが外的帰属です。
 そうではないという見方もあるとは思いますが,大造じいさんは外的帰属をしているように私には感じられるのです。
 それがどうにも清々しくありません。
 初めて読んだころには,もちろんこんな用語も知りませんでした。
 ですが,おそらくそのようなことを感じ取っていたのだと思います。


 一方,私自身が外的帰属をしたことがなかったかというと,いやあ,恥ずかしいくらいありますね。
 どんどん思い出せます。
 大造じいさんから「お前に言われてもなあ」と返されそうです。
 いやはや,物語はともかく自分の人生だけは好きになって,一生を終えたいものですね。