1 インタビュー集
最近、中村哲さんのインタビュー集を2冊読みました。
中村哲さんのことは薄い知識で知っていました。
アフガニスタンに医師として派遣されていたこと。
医療よりも水路を造る方が大切と現地に用水路を造ったこと。
銃撃により亡くなられたこと。
現地の尊敬されていること。
そんなくらいです。
お亡くなりになった頃のニュース報道等で知った薄い知識です。
改めてどういう方なのか知りたいと思って手に取ってみたのです。
2 ハンセン氏病
中村さんが派遣されたのは、ハンセン氏病対策のためでした。
知らなかったなあ。
しかも最初はパキスタンに派遣されたのです。
しかし、パキスタンにハンセン氏病と思っていっても現地の現実は違います。
予算をつける側と予算を要求する側の違いってどこでもあると思うのですが、ここまで違うのもすごいと思います。
まず、現地住民にとって国境とはそれほどの意味ではない。
現地のパシュトューン人はアフガニスタンとパキスタンにまたがって暮らしています。
親戚が隣の国にいるのも普通。
だから中村さんがアフガニスタンに入っていったのも当然なんですね。
そしてハンセン氏病。
日本では、難病で苦しんでいる方がいる伝染病という印象です。
しかし現地では、難病は難病ですが命はとられにくい病気。
赤痢とかそっちの伝染病の方がこわいという面がある。
なるほどなあと思います。
そして現地でほしいものは、現地に行かないと分からない。
足のけがを防ぐスリッパのような履き物を配ったところ信頼度が上がったというもの興味深かったです。
3 水路
なぜ中村さんが水路を造り始めたのか。
それは、現地の健康状態を改善するには水路が一番だったからです。
気候変動なのか、現地は水不足。
水さえあれば耕地がよみがえり、働き手は戻ってくる。
水くみという重労働からも解放され、衛生環境がよくなる。
いいことづくめ。
こういうことなんだそうです。
そこを行動に移すところが中村さんのすごいところですね。
しかも、水路の土木技術は故郷九州の川から学んだもの。
江戸時代の治水の技術らしいです。
それが、現地の持続可能な技術。
この辺りも判断もすごいですね。
そういうことを数十年単位で行っている。
尊敬しかありません。
海外の協力隊というと自己犠牲や奉仕の体現みたいなイメージがあります。
中村さんはインタビューだからもらしているのもあるのでしょうが、日本で適応できなかった若者が来る場合も多いといいます。
それは、日本に居ても肌感覚で分かる感じがします。
それでも、現地に溶け込んで一緒に土木をやれば変わってくるといいます。
海外協力の現実的な一面なのでしょう。
わたしはこういうところを読んで、かえって海外で協力している方を尊敬できるようになりました。
そういう人間くさいところって大事だと思うのです。
4 タリバン
中村さんが亡くなって、アメリカが撤退して、アフガニスタンはまたタリバンが治めているようです。
タリバンが原理主義的テロ集団であるというイメージがありますが、中村さんよると現地ではそうでもないとのこと。
アメリカ的な価値観では自由を圧迫する存在ですが、タリバンが治めていると治安はよくなるのだとか。
つまりルールが厳しくなるからですね。
もちろん嫌なこともあるのでしょうが、それで安心できる部分もあったりする。
そういう感じなのだそうです。
9.11とタリバンのイメージが合わないと中村さんはいいます。
飛行機を操縦したりパソコンを操ったりはタリバンではない。
アラブの金持ちにしかそういうことはできないというのです。
現地の感覚でしょうね。
真実は不明ですが、アラブ人を客人としてかくまっていたという可能性もありそうです。
5 総評
自分の人生はこういったボランティア活動とは無関係でした。
後悔というほどではありませんが、それにしてもと思うところはあります。
そして、中村さんのような人が存在したことが奇跡のような感じがします。
現地の公園には彼の写真が掲示されているとのこと。
著書ではなくインタビュー集を読んだことで、人間としての中村さんを知ることができたような気がします。
米軍が撤退したことで、アフガニスタンのニュースを聞くことは少なくなりました。
しかし、中村さんのことと忘れてはならないと思います。