ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

断捨離が難しいもの

断捨離について書くことが減りました。

かなりのものを処分して、部屋の中がすっきりしたからです。

この夏も服を処分したり書籍を減らしたりと少しずつ減らしています。

このように減ってくると、残るものの傾向が分かってきます。

なかなか処分しきれずに残るもの。

それは趣味のものです。

私には、処分仕切れずに残っている趣味のものが3種類あります。

一つは釣り具。

二つ目はギター。

三つ目はCDです。

一つ目の釣り具ですが、釣り竿とリールがメインになります。

釣り竿なんて1本でいいじゃない。

こういう意見も分かるのですが、対象魚や釣り方で使いやすい竿は違ってくるんですね。

同じようなの売ったらええやん。

というのも分かるのですが、微妙な違いで残しているのです。

実際のところ、30cm位の違いは現場でなんとかなるレベルなんですが、それでも使いやすさに違いがあるから、なかなか処分しきれないんです。

せめてと新しい竿を購入するのは控えているんですけどね。

それからリールもそうです。

これに関しては、もう無駄と分かっています。

バス用のベイトリールが1台、渓流釣り用が1台あれば足りるのですが、一度手に入れると捨てられないというか。

98プロキャスターZとアブ1500Cがあれば足りるのですが、他のが捨てられないのです。

脱線しますが、98プロキャスターZはあまり話題にならないリールですが、傑作だと思います。

後継機があまりにあまりなので話題になりませんが、これはいい。

こんな使いやすいリールは10年代までありませんでした。

この頃のシマノは剛性感だけで、SVSの調整が面倒なリールで、雑誌では高く持ち上げられていましたけど、実釣向きではなかったです。

キャストとピッチングと調整変えるなんて、めんどくさくてね。

特に初代アンタレスの調整のめんどくささといったらなかったですね。

まあ飛距離を押さえた調整にすればましなんですけど、それじゃアンタレス使う意味ってどこ?となりますので。

でもメカ感が強かったので、機械好き系男子には受けてましたけど。

まあ、今はダイワかシマノ選んでおけば問題ない時代になりました。

いい時代です。

閑話休題

とにかくリールは使っていないのもありますし、無駄だと思っているのですが捨てられないのです。

二つ目のギターも似たようなものです。

もうほぼほぼウクレレしか弾かないので、全部いらないといえばそうなんですけど、どうしても捨てられないというかなんというか。

せめてエレキ1台アコ1台にすればいいとは思うのですが。

なんとなく捨てがたいのです。

まあ、勇気を持って捨てる日がくることでしょう。

もしかすると、定年後かもしれませんが。

三つ目のCDは、聴かないのを売ればいいとは思うのです。

聴きたくなったらネットで購入すればいいし。

それにデータを残してものはさようなら。

ということもできると分かっていても、なけなしの小遣いで買った思い出のために捨てられないのです。

思い出という付加価値がじゃましているのです。

いつか割り切らないといけないと思っているのですが。

趣味のものは、一度それに夢中だった自分がいるので、決断が鈍るのですね。

そういう過去の自分を相対化してこそ、断捨離なのだとは思います。

にわか断捨離者の道は遠い。

と、決断力なく優柔不断に思います。

 

台風が近づいた休日

台風が近づいています。

九州は大変なようです。

ツイッターに上がっている動画なんかものすごいですね。

安全第一で頑張ってください。

さて、この3連休のどこかで雨風になるだろうと思っていましたが、予想ははずれました。

ずっと曇りににわか雨ばかりでした。

それで、特に何かをすることもなく過ごしていました。

そうそう、3連休の最初にクルマを洗ったんです。

2週間も洗ってなかったので。

後、ネコの足跡がついていたので。

ほんとネコって困ります。

雨が来るのは分かってましたけど、まあ洗わないよりいいかなという感じで、ざっと洗いました。

洗剤だけです。

1年くらい使ったホーマックPBの泡立ちの悪い洗剤も今回でおしまい。

というか途中で足りなくなりましたが、どうせ雨降るしっていうことで間に合わせました。

この洗剤、泡立ちは悪いのですが、汚れはけっこう落ちるようでした。

でも、泡だたないと使いにくい部分もあって、おそらく次は買わないと思います。

安かったんですけどね。

定期的に洗車をするのは飛び石などによる塗装剥がれがないか確認するためもあります。

ほおっておくと錆びますからね。

高速を使う機会が減ったこともあり、今回はありませんでした。

ラッキー。

洗車は凝る人は凝りますが、私は見た目オッケーなら別にいいって感じです。

乾かしている途中で雨が降ってきました。

それから図書館に移動。

というわけで、クルマの下半分は汚れてしまいました。

まあいいでしょ、一瞬はきれいになったのだから。

さて、公立図書館なんですが、蔵書が多くなくて児童書と小説がたくさんあるためか、心理学の本はわずかしかありません。

そのわずかしかない本を私はほぼ全部読んでしまいました。

というわけで、新しく興味が持てるジャンルを探しました。

そんなに簡単にみつかるわけもありません。

結局、ブラタモリの1巻を読んで暇つぶしです。

でも、ブラタモリおもしろいですね。

地学に詳しくないのですが、知っていたらもっと楽しめると思います。

3連休の別日になりますが、久しぶりの書店に行きました。

図書カードをもらったので使いたかったのです。

本の購入は、電子書籍が中心になってから久しいので、ほんと久しぶりです。

行って思ったことは、寂れた感があるってことでした。

地方ですし、人口も減っています。

もちろん町の本屋はとうになくなってチェーン店が残っているだけです。

人も少ないし、本も少ない。

雑誌はいつのまにか値段が上がっているし。

みんなサブスクで読んでいるのかな。

電子書籍で写真やイラストが多いのは読みにくいのだけど。

めあての本があったのですが、書店にはおいてありませんでした。

残念。

何も買わずに出てきてしまいました。

高校の頃は汽車通学で、汽車の時間までよく町の本屋で時間をつぶしていました。

立ち読みに寛容だったなあ。

こういうことも昭和の昔の出来事になるのでしょうね。

さて、台風で明日は交通も乱れそうだし、近所の学校も休みになるでしょう。

会社は休みに当然なりませんけど、雨風対策はするかもしれません。

インフラや消防とかでなきゃ、地域一斉に休めばいいんじゃないかなと思います。

どうせ仕事も進まないし。

おそらく流通も遅れるし。

もうすぐ定年だからいえると思うのですが、こんな日はみんな休めばいいと思います。

困ったとしても、我慢できる範囲でしかないと思いますし。

仕事は、台風が去ってから休んだ分まで張り切ってしたらいいと思いますけど。

とはいえ個人の感想に過ぎず、やっぱり明日は出勤です。

 

 

練りエサ「九ちゃん」で海釣り

マルキユーといえば、つりエサ界で知らない者はいないほどの巨人です。

特に、ヘラブナの練りエサでは多彩な製品を販売し、どんな釣り方もカバーするくらい。

90年代からソフトルアーにも参入、エコギアはもう定番といっていいほど釣り人に定着しています。

私も根魚釣りでは、グラスミノーの大ファン。

絶対の信頼をもって使用しています。

バス釣りをしていた頃は、エコギアのストレートのネコリグで何度二桁釣りをしたことか。

マルキューにはいい思い出しかありません。

マルキューには、九ちゃんと呼ばれるものが二つあります。

一つというか一人はキャラクター。

マルキューの製品や釣り番組に出てくる少年釣り師です。

野球帽と長靴のニコニコ少年。

もう一つは万能練りエサ。

コイ、フナ、クチボソなんでもござれのエサです。

マルキューの練りエサの基本といってもいいものです。

私が初めてヘラブナを釣ったときのエサでもあります。

というかフナ釣りしていてヘラが喰ってきたって感じだったのですが。

九ちゃんの袋には「九ちゃん」が描かれていて、ある意味マルキューを象徴するような製品に見えますね。

今日この九ちゃんを使って、海で釣りをしました。

対象魚はイワシです。

最近、漁港に入ってきてまして、サビキ釣りでよく釣られています。

私もサビキ釣りは好きなのですが、コマセを使うと片付けが面倒なので、なるべく使いたくありません。

釣ってる時は、2匹も3匹もかかることもあって楽しいのですが、コマセが苦手なんです。

それにウキ釣りのいかにも釣りをしていますっていう雰囲気が好きなのもあります。

エサは、アミとかの方がいい気はしたのです。

しかし、YouTubeの「GoGo九ちゃんフィッシング」の「ヘラスタイル海へ」という動画を見て、やってみたいと思ったのでした。

本格的なヘラスタイルはちょっと漁港じゃ恥ずかしい。

場違い感満載ですからね。

そして、釣れなきゃもっと恥ずかしい。

というわけで、九ちゃんなら海でも使えると袋にも書いてあるし恥ずかしくない、と保険をかけて、このスタイルになりました。

時折、にわか雨は降るものの、幸い台風はまだ来ていないようですし。

とりあえず漁港へGoです。

漁港は天候の悪さを受けて、ハゼ釣りらしいちょい投げをしている方が一組だけでした。

とりあえず水面を見ます。

イワシが居るなら、見えるはずです。

いません。

なんてことだ。

とは思いましたが回遊魚、泳いでくる可能性も残っています。

とりあえず竿を出しました。

まったく当たりがなく、2・3度場所を変えていたら、ハゼ釣りの方々お帰りです。

またにわか雨が降ってきたので、これから荒れるとみたのでしょう。

私は5時までは大丈夫と「NHKニュース防災」アプリの予報を信じます。

信じる者は救われる、晴れてきました。

とウキが沈みました。

上げてみると手応えなし。

もう一度九ちゃんつけて投入。

もう当たりなんてもんじゃなくて、ウキが30cm以上沈んでいます。

でも、上げても何もかかっていない。

おかしい。

フグか?

ネリエを周りから吸い取っているのか。

あるいはサカナのクチが針より相当小さいのか。

とはいうものの使っている針は、ヘラスレの3号、10cm以下のクチボソも釣ったことがある針です。

う~ん。

九ちゃんを小さめに針先に付けて投入します。

ウキが10cmほど沈んだところで竿を立てます。

ついにサカナの手応えです。

おお、引く引く。

なんだろう。

銀色の細いサカナです。

しかし、イワシではないような。

上げてみたらこれでした。

ウグイです。

20cm越えで、まあまあなサイズです。

このサカナ、正確にいうと地元ではオオガイといいまして、海降型のウグイです。

正式にはマルタウグイといいます。

食べてもおいしくなく海産物としての価値はありません。

積極的に捕ったり釣ったりするサカナではないのです。

それにしても久しぶりに見ました。

海水温が上がっているので、もう北の方にいったかというくらい見てなかったのです。

いるんですねえ。

それにしてもさすが九ちゃん、コイ科に強い。

海にいる数少ないコイ科のサカナを選んで釣ってくれました。

ウグイはクチを見るとよく分かりますが、厚いクチビルがコイとよく似ています。

この後も当たり多いのですが、なかなか釣れませんでした。

どうやら大きい順に釣れてるようで、小さいやつはクチにかかりにくいようです。

4匹釣れたのですが、少しずつ小さくなっていきました。

イワシなら持ちかえりと決めてましたけど、ウグイは釣れたらすぐ逃がしていたのですが、そんな私に目を付けた生き物が。

これです。

私のすぐ横に来ました。

ウミネコです。

改めて見るとウミネコの眼ってこわいですね。

カモメはもっと優しいのですが。

釣ったウグイを水面に落とした瞬間、水面にダッシュです。

なんと、ウミネコを蹴散らして、ワシが掴んで飛んでいきました。

なんてこったい。

釣り人みんな帰ったので、人間が一人だから安心したのかな。

鳥に取り囲まれていたようです。

その後、九ちゃんがなくなったので帰りました。

試しなので、少ししか作っていかなかったのです。

それにしても、海のウキ釣り楽しかったなあ。

竿は2.7mの硬調ヘラ竿、ウキはドングリウキでした。

今度ヘラウキでやってみようと思います。

次はウグイ以外のサカナを釣りたいですね。

天職ってあるのかな

一般的に、その人にむいた仕事を天職といいます。

その仕事をするために生まれてきた人。

こういう風に語られることもあります。

大谷翔平選手などを見ると、プロ野球選手が天職なのだろうと感じます。

しかし、天職って簡単にみつからないように思えます。

麻袋の錐はすぐに頭を出す。

というように埋もれていても頭角を現す人はいるでしょう。

でも、自分の適性ってほんとに分かるものなのでしょうか。

こんなことを考え始めたのは、今日こんなことがあったからです。

職場の同僚の話です。

人当たりもよく、控えめだけれども真面目な人がいます。

与えられた仕事もきちんとこなします。

なのですが、人に接するのが苦手というか、真意を上手に伝えられないところがあります。

それが問題となりました。

で、本人も交えて対策会議です。

サポートに人を付けるとか、そんな対策が出されました。

そういうこともやっていくのですが、対処療法で根本解決ではないというような話も出されました。

何てこと言いやがんでえ。

そう言ってしまうと、すべての可能性を否定することになるだろうが。

そんなこと言っても仕方ないでしょ。

と、こんなことをしゃべらずに思っていたのですが、根本解決をするにはどうしたらいいのだろうと考える契機にはなりました。

私が考えた根本解決は職を変えるです。

部署を変えるというのもありますが、そんな大きな組織ではないので、まったく違う仕事というのはありません。

似たような仕事なので、どこを担当しても似たような問題がつきまとうはずです。

とすれば、職を変えるのが一番よいでしょう。

こう思ったのです。

幸いその同僚は若いし、たぶん借金もないだろうし、扶養家族もいない。

思い切って、自分の得意分野が生かせる仕事に変わった方がいいんじゃないか。

人生長いんだし。

と、こんなことを思って会議に参加していました。

もちろん口はつぐんでいましたけどね。

同僚を切るのか。

私の発言で、そんな感情を引きおこしたら大変です。

いやそんなつもりは毛頭なく、まったく本人のためを思っての考えなのですが。

そして、ここから一歩踏み出して、ではどんな仕事が向いているのだろうと考えました。

事務職かなあ、医療看護系かなあ。

営業はないなあ、でも店員ならいけるかも。

とまあ、不謹慎にも人の人生を勝手に想像していたのですが、翻って天職ってあるのかな?という思いにいたったわけです。

同僚のことはさておき、自分は今ついている職業が天職と思ったことは一度もありません。

まったく向いていないとすら思います。

今の職の仕事の中で、中心となる一部は向いていると思うのですが、いかんせん向いていない業務がありすぎる。

と考えて、私やこの同僚も含めて、世の中の人、大なり小なりそうなんじゃないかという考えに至ったのです。

天職を求めて転職。

そんなこと簡単にできるわけないよなあ。

やっぱり、会議中黙っていたのは賢明だったようです。

天職なんて簡単にみつからないし、本当にあるのかも分からないし、そんなもの口に出したら、助言じゃなく暴言になるでしょう。

仕事選びも妥協が必要ということなのかなあ。

などと考えているうちに会議は終わり、対処療法を中心に対策することになりました。

よかったのかどうなのか。

同僚にとって、この対策が有効なのかどうなのかは、やってみないと分かりません。

でも、この対策によって、同僚が悩みがこれ以上大きくならないことを願います。

人に信用されないのはつらい

讒言にあいました。

いわれのないことを上司に伝えられ、それで疑われたということです。

明日になれば事実は明らかになるでしょう。

言った言わないの話なので、あくまで向こうが主張を変えなければ私が悪いことになりそうですが。

まったく嫌な話です。

しかし、この話の大きな問題は、上司が私を信用していないことです。

私の不徳のいたすところなのでしょう。

どうやら相手の話を聞いたときに、私が言ったものとして対応したみたいです。

普通に考えて事実誤認だと思うのですが、どうも私が悪いことになっているようなのです。

上司の心の内では。

どうしてこう信用がないのでしょうね。

それにしてもこの対応、最初から私を切る想定だったと思います。

もう、なにをか言わんやです。

仕事やめたくなりましたね。

最初に会ったときから、自分の話ばかりして人の話を聞かないタイプだと思っていましたが、これほどとは思いませんでした。

チャンスだと思ったのかもしれませんね。

さて、臨床心理学を学んでいる者として、この事態への対応を考えました。

まずは、信用されていないという問題は、アドラー風にいえば、私の課題ではありません。

なので、私は事実を主張するだけです。

心を落ちつかせるためには、今、ここに意識を集中させるマインドフルネスを使いたいと思います。

とにかく、いわれのないことで責任を取るのはごめんです。

こういう上司を助けるのも部下の仕事ですが、ほどほどにしたいと思います。

したことが悪意にとられてもつまらないですからね。

人生、まさかの連続です。

人に信用されるには、どうしたらいいのでしょうね。

読書感想「嫌われる勇気」~課題の分離について~

アドラー心理学を世に広めているベストセラー「嫌われる勇気」を再読しました。

前回読んだ時は、臨床心理学に詳しくなかったので、何となく読みとばしていたところが多かったということを再認識しました。

よく読んでみると、アドラー心理学の基本的な概念をよく説明している本です。

さすがは京都大学の哲学者。

プラトンの対話篇のような形式になっているのは、ギリシア哲学を専攻していたためなのでしょう。

ソクラテスの対話篇との違いは、ソクラテスがどんどん質問して相手は無知をさらけ出すのに対し、哲学者が質問に答えながら質問者の認識を変えていくという点にあります。

攻守交代みたいな感じです。

さて、再読して気になった点を多くあるのですが、今回は1点にしぼって述べます。

それは、課題の分離です。

課題の分離というと、一つの課題を小課題に小分けして、スモール・ステップで解決していくようなイメージを持ちがちですが、こういうことではありません。

ある課題が誰の課題であるか、ということを明確にすることです。

人々は悩みを抱え、そのために不安やストレスを感じ、カウンセリングを受ける。

これが一般的なクライエントの状態でしょう。

この悩みは、別の言葉でいえば解決すべき課題です。

往々にして、クライエントは真剣に悩んでいるのですが、本来自分が解決すべきでない課題を悩んでいることが多いのです。

例えば、上司と折り合いがよくないとします。

上司が感情的に指示を出す場合は、指示をこなせばよい。

感情的になるのはこちらの問題ではなく、上司の側の問題である。

こう考えるのです。

また、子供の成績が上がらない。

子供の成績は子供の問題であり、親の問題ではない。

支援はするが、結果の責任は子供に帰する。

こう考えるのです。

割り切りがすごいと思います。

しかし、他人の問題を自分の問題と誤認することで、抱えなくともよい課題を背負い心を病んでしまう人は、実際に多くいます。

それが誰の問題であるかを明確にすることが、心の安定につながるのです。

一理ありますが、本書では予想される反論を登場人物にさせています。

それは、このような考えはあまりにも個人主義である。

人は人、自分は自分という考え社会に蔓延すれば、人々は分断されてしまうのではないか。

こういう批判です。

アドラー心理学は、一名を個人心理学といいます。

この反論は、アドラー心理学の核心をついたものではないか。

そうともとれそうです。

ですが、この批判は的を射てはいません。

アドラーは共同体をとても大事に考えていたそうです。

アドラーの共同体の考えを述べると「課題の分離」からは離れてしまうので、今回は述べませんが、個人の分断がアドラーの目的でないことは確かです。

なので、課題の分離をすると、本当に社会は分断されるのか。

このことについて考えてみます。

実際の社会生活では、誰かのためを思って行ったり、話したりすることがとても多いと思います。

また、そうしている人を人格者、思いやりのある人などと褒めそやすこともよくあります。

しかし、ですね。

他人のためにしたことが、結果的によかったかどうかと自分の経験を振り返ると、案外そんなことはなかったことに気づきます。

少なくとも私はそうでした。

縁の下の力持ちなんて、なるもんじゃないと何度思ったことか。

返って、役割を決めて明確に分業した方が、後腐れなく、気持ちよく終われたりするものでした。

私の実感としては、課題の分離をした方が、個人主義じゃなくて協働主義になる、結果的にそうなるという意味でですが、と思います。

人の分と思っていた方が、気持ちよく手伝えるし、自分の分を手伝ってもらったら純粋に感謝をします。

人の仕事が終わらなかったのは、自分にも原因がある。

こう考えると、どれほど心が不健全になることか。

また課題を分離すれば、後腐れもなし。

この場合の後腐れとは、恩とか義理とかそういうものです。

必要ではなかった助けで、恩とか義理とか感じると、それを返すのがけっこう大変なんです。

返しをするくらいなら、助けはいらなかったなあ。

冷たいように思うかもしれませんが、実際の生活でこういうことは誰もが感じていると思います。

その場できれいに精算した方が、長い目で見るとよかった。

そういうことの方が、もう圧倒的に多いのです。

自分のためだけじゃなく、他人のためにも「課題の分離」をすべきです。

本当にそう思います。

さて、書名「嫌われる勇気」ですが、課題の分離等をすると人に嫌われるかもしれないが、その勇気を持とうという意味でもあります。

これで嫌うような人は、人間についての理解が浅薄なのだからあまり気にしてもしょうがないように思います。

それこそ、その課題は、嫌った相手の課題なのです。

臨床心理学の本を何冊も読んできて、ようやくアドラー心理学の主張が分かってきました。

しばらく他の本を読んでから、また読み返そうと思いました。

その際にも、新しい理解ができると期待しているからです。

 

 

ベイトリールを防波堤で使わないわけ

ベイトキャスティングリールはとてもかっこいい。

おそらく男性なら賛同者がいっぱいいるはずです。

何につけても性区別をするのはよくありませんけど、機械系小物が好きな男性は多いはずです。

スピニングリールに比べるとコンパクトにまとまっているし、精密感もある。

巻き上げる力も強い。

そして、キャストにややテクニックがいる。

つまり玄人好み。

こういう理由で、ベイトリールを好む人は多いはずです。

私もその一人。

思い出込みでいうと富士リールが一番好きなんですが、ベイトリールはやっぱりかっこいい。

なのに、私はメインフィールドである防波堤では使いません。

それには理由があるのです。

ベイトリールには、道具として決定的な弱点があるのです。

それは錆びやすいこと。

そんなのスピニングも同じでしょ。

そういう人は実釣をあまりしていないか、釣りの後にリールの整備をしていないかのどちらかです。

構造上、ベイトリールは潮水に弱いんです。

どこがだよ。

というもっともな疑問があることでしょう。

それは、キャストする時にスプールが回るところにあるんです。

キャストすると高速でスプールが回ります。

乾燥している冬によく分かるんですが、その時スプールの周囲が霧吹きでスプレーしたみたいになります。

巻いている糸についた水が遠心力で飛ばされるんです。

それも霧状に。

これが非常にやっかいなんです。

糸が水を拾ってくるのを防ぐことはできません。

そして、スプールが回転することを防ぐこともできません。

その結果、必ず(必ずですよ)リールの周りに霧状の水滴が飛びます。

ベイトリールは、スプールが回転する構造上、どうしたってスプールとボディの間にすき間ができます。

世界のシマノの技術をもって、何百分の1mmの精度したとしても、すき間は空きます。

そこに霧状の水分は入り込みます。

一度のキャストならたいした量は入りません。

しかし、ルアー・フィッシングというのは、投げる・巻くの繰り返しです。

エサ釣りでは考えられないくらいキャストします。

結果、リールの内部に相当量の水が入り込むのです。

これが錆びの原因です。

淡水なら、まあ問題にならないのですが、海水はダメです。

村田基さんが、バケツにリールを突っ込んで洗っていましたけど、確かにそうしたくなるくらい潮水が入ります。

また、釣行ごとに分解洗浄をする釣り人もいます。

ホント、そのくらいしたくなるくらい潮水が入ります。

で、自分はそこまでの整備ができないんですね。

特に最近の高性能リールは、素人が分解すると組み立てられなくなるくらい複雑です。

ストリーム・ライトくらい単純なら私にもできるのですが。

こういう後処理のことを考えると、ベイトリールを敢えて海で使う、という選択肢が消えるのです。

じゃあ、ストリーム・ライトでやればいいじゃないか、という意見もあるでしょう。

70年代以前に設計されたリールは、使われている素材がマジかっていうくらい錆びに弱いので、絶対にだめです。

グリスでギトギトにしても安心できません。

大事にしたいのなら、使わないのが一番です。

巻き抵抗の大きいルアー、スピナベとか大きめのディープクランクとかは海じゃ使わないので、スピニングでも問題ありません。

投げない釣りなら、穴釣りとかヘチ釣りとか、使ってもいいのですが、それなら富士リールでいいやってことになります。

もっとテクノロジーが進んで、錆びない素材のリールができたらいいなとは思います。

難しいでしょうけど。

そうそう、バスポンドの松井さんが、カヤック・シーバスを少しだけしたことがありました。

すぐにやめたんです。

確か理由は、リールが錆びるからでした。

ダイレクトリールや五十鈴工業製リールが錆びに強いわけありませんものね。

というわけで、私のベイトリールは、すべて淡水専用になっています。

かっこはよくないけど、スピニングリールでできないことなんてありませんものね。

私の防波堤の釣りでは。