ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

「かちんむかッぐさッ」という本

 また,おもしろい題名の本を読みました。

 「かちんむかッぐさッ」です。

 誰かの言葉が自分に向かったときの様子ですね。

 マンガの擬音としてもよく使われています。

 題材としては,人間関係です。

 これを神智学的見地から述べた本でした。

 印象に残ったことを述べていきます。

 総じてになりますが,題名ほど突飛な内容ではありませんでした。

 カウンセラーとしての経験を踏まえて,人間関係について述べた本です。

 題名から考えると,わき起こった怒りをどうするのかについて述べているように思えますが,そんなことはありません。

 怒りのピークは6秒みたいな話もなしです。

 述べているのは,怒りを感じた事例とどうして怒りを感じたかです。

 怒りの原因帰属も大切なんですが,できれば起きてしまった怒りをどうするか,どうやって怒りを抑えて人間関係を良好にするかをたくさん述べてほしかったです。

 さて,どんなときに怒りがでやすいかですが,筆者はこのように述べていました。

 自分が安全地帯にいるときに怒りや意地悪を出せる。

 これはなるほどですね。

 怒ることで自分が不利になる場合,人間は怒りません。

 正確にいえば,怒りの感情は生じるのですが,それを表に出すことはありません。

 それが人間です。

 逆にいえば,安全地帯はどこにもないと思えば,怒りを表すことはないのです。

 これはネットで問題になっている「匿名性の悪意」の問題でもあります。

 「ばれなければ」という考えをもつと,人間性の悪い面が出ます。

 別な言葉でいうと,人間関係がからまなければということです。

 これはほんとうによくないと思います。

 さて,匿名でなくとも怒りを表す場合があります。

 それを筆者は,おもしろい表現で表しました。

 「アンパン人間」と「ドーナツ人間」です。

 意味はこんな感じです。

 アンパン人間とは,栄養たっぷりのあんこをたっぷり与えられた人間です。

 この場合のあんことは,親の愛情です。

 そしてそこから自立できないでいる人間もいて,他者に多く依存してしまうのだそうです。

 怒りの原因帰属が他者となってしまい,適切な人間関係が得られないのだとか。

 一方ドーナツ人間とは,まん中にあんこがない人間です。

 他人からの愛情がなくとも自立している人間,そんなイメージです。

 これだけ読むとよい感じがするのですが,問題がある場合があります。

 それは,せかされて早く自立を促された場合です。

 たっぷりの愛情を与えられず自立したために,愛情を与えなかったものや他のたっぷりの愛情を与えられたものを恨みがちになるのです。

 こうなると適切な人間関係が気づけなくなります。

 理想的には,アンパン人間からドーナツ人間にうまく成長すればいいのですが,そうそううまくはいきません。

 なので大事なことは,自分が甘えがちな人間なのか恨みがちな人間なのかを知り,自分で対策をしていくことだと思います。

 また,アンパンにしてもドーナツにしても,自分以外の誰かに怒りの原因を求め,自分は正しいと考えていることに注意が必要です。

 正義を持つと感じるとき,人間は相手に苛烈になります。

 やはり原因は自分にある,自分にもある程度ある,と考えることが大切と思います。

 本書は,様々なところで発表された文章を集めて作られたそうです。

 そのためか,後半に進むにつれて散漫な印象を受けました。

 もう少し怒りと人間関係の関係について詳しく述べていただけたらと思いました。

 とはいえ,怒りの感情について様々な観点から述べられているので興味深く読むことができました。

 読後,怒りを感じている自分を理解することが一番大切であると感じました。

 

 

「めんどくさい人」になりたくない

 何ともストレートな題名の本を読みました。

 「『めんどくさい』の取り扱い方法」というタイトルです。

 私はどちらかといえば,自分が「めんどくさい人」と分類されないかと心配なタイプです。

 なので,そういう取り扱いをされないために気を付けよう,という気持ちで読みました。

 特に印象に残ったことを述べます。

 総じて印象に残ったことは,この本の著者は,人間をそんなに悪いものと思っていないということです。

 「めんどくさい」という語感から,どうやって避けるかということが中心となり,ほんとこういう人ってめんどくさいですね,関わりたくないですね,という論調かと思ったのです。

 そうでもありませんでした。

 こういう人は,こうだからこう対応しましょうという感じで,総じて「めんどくさい」人に理解があるのです。

 性善説というほどではありませんが,好意的に見ていることが多いので,読んでいて好感が持てました。

 まあでも,めんどくさいことはめんどくさいので一つ一つ対応策が書いてあります。

 これが端的で分かり易くていいですね。

 例えば,「忙しいのにえんえんとムダ話をしてくる人」には,「話が途切れる瞬間をつくり,すかさずその場を離れましょう」です。

 上手にできるかどうかは分かりませんが,確かにこういう対策が有効な気がします。

 さて,自分自身が気を付けなければいけないと感じたところはこんなところです。

 「いつも機嫌が悪く,威圧的な上司」

 若干部下もいますので,こうならないように気を付けています。

 これに対する対策はこうです。

 「尊敬していなくても尊敬しているふりをする。その方があなたのストレスを減らします」

 なるほど,やたら褒められだしたら,疎まれているんだなと感じた方がよさそうです。

 もう一つあげるとこんなのも気になりました。

 「口を開けば不平不満ばかりを言う人」

 やっぱり仕事なので,ぐちっぽくなるのです。

 自分でも直そうとしているのですが,つい口からこぼれてしまいます。

 それに対する対策はこうです。

 「不満ばかり言う人と一緒にいると伝染します。

 グチを言い始めたら,まったく違う話題に変えてしまいましょう」

 なるほど,相手が話題を変え始めたら,聞きたくない話をしているんだなと自覚します。

 著者は心理学を修めた人なので,根拠がないということはないと思います。

 全部の対策がうまくいくとは限りませんし,うまくできる人うまくできない人がいるとは思いますが,こういうことを知っておくことはいいと思いました。

 純粋に読み物としても楽しかったです。

 

 

奇跡のサードマンってこんな人

 心理学の棚で心理学っぽくない本を見つけました。

 「奇跡の生還へ導く人」というタイトルです。

 すごく落ち込んでいる人を助けるカウンセラーの話かと思いました。

 とんでもない勘違い。

 もっと神秘的な話でした。

 内容にふれながら感想を述べたいと思います。

 奇跡の生還へ導く人を「サードマン」といいます。

 第三の人という意味でしょうか。

 どういうことか分かりません。

 実は,冒険や災害,戦争などで絶体絶命の状況に陥った時に表れる人です。

 実在できるはずもない状況で表れ,窮地に陥っている人を励まし,助かる道を指し示す。

 そういう人,というか存在です。

 不思議ですよね。

 筆者は,この「サードマン」の事例をたくさん集めています。

 そして,どんな存在なのかを明らかにしようとしました。

 サードマンに会った人の中には守護天使と考えた人もいますし,霊と考えた人もいます。

 共通していることは自分を助けるものだという認識です。

 こわい存在ではないんです。

 この存在がどんな時に現れるかをさらに具体的に調べました。

 分かったことは,単調で刺激に乏しいとき,他と隔絶されたとき,そして強いストレスにされされているときだそうです。

 このことから脳が見せる幻覚と考える人もいるそうです。

 それにしても,多くの場合,命を助けるような働きをするのはなぜなのでしょう。

 少々つらい話をすれば,サードマン体験は助かった人の話から分かったことです。

 サードマンが現れても助からなかった人の話は聞けません。

 なので,必ず助かるものとも考えられないような気がします。

 それはさておき,助かるような助言をするのは潜在意識の中で助かりたいという思いが強いからなのでしょう。

 合理的にはそれ以外に考えられません。

 少なくとも私には。

 本書の中で,強い宗教体験もこれに類したものではないかという示唆があります。

 なるほどとは思います。

 極限の中で,命を助けられたとなれば信仰が強くなるのもうなずけます。

 宗教的,神秘的似解釈せず,人間の心の働きとして考えるのであれば,人間の心はどれだけ強いのだろうと思います。

 自分自身でコントロールできないところで,それでも自分を守ろうとする力や意志を発揮するのですから。

 サードマン現象は,人間の強さを表しているのかもしれません。

 さて,心理学の本を読もうとしてこの本を読んだのですが,ある意味人間の心の一面を考えることができて,よかったなあと思っています。

 この本が心理学の棚になかったらたぶん読むことはなかったでしょうし,サードマンという存在についても知ることがなかっただろうからです。

 でも,ジャンル違いはジャンル違いですね。

 とはいえドキュメンタリーでもないし,私が整理係だったとしてもどこに置くか悩むとは思います。

 

 

女性のためのカウンセリングとは

 「自分でできるカウンセリング」という本を読みました。
 相変わらずカウンセリング関係の本を読んでいるのです。
 この本には副題がついています。
 「女性のためのメンタル・トレーニング」です。
 どうやら女性向けの本のようです。
 私は想定された読者ではないようですが,カウンセリングの教養を増やすためにはいいと考えて手に取りました。
 印象に残ったことを述べていきます。

 印象に残ったことの一つ目は,社会学の本のようだったことです。
 女性学といってもよいのでしょうか。
 この辺りは耳学問程度なので分かりませんが,心理学の本ぽくはなかったです。
 2010年初版なのですが,その時代における女性の社会的立場とそこから生じるストレスについて述べているのです。
 いわく結婚についてのストレス。
 家庭内における女性的な役割にかかるストレス。
 女性らしさから生じるストレス。
 この辺りについて述べているのです。
 これら女性がおかれている社会的な状況には,改善をしなければいけないと思います。
 まあでも,初版から10年ちょっと経ちました。
 変わっている部分もあれば変わってない部分もありますが,少しずつ社会は改善しているように思います。
 専門家には全然だめ,悪化しているといわれそうですけれど。
 でも,結婚しない人は男性でも増えていますし,するしないをよい悪いでとらえる雰囲気も減ってきていると思います。
 それに最近は,結婚は性別よりは経済の問題とからめて議論している人の方が多いと思います。
 と少しずつ状況が変わっていってる中でこの本をどう評価するか,です。
 社会的・文化的ストレスをどう取り扱うかについて述べた本ととらえるのが,自分にとってはいいように思いました。

 印象に残った二つ目は,そういうストレスへの対応策です。
 社会的・文化的ストレスに対する有効な策はどんなものか,ですね。
 この本はカウンセリングの本なので,社会的にどうするかではなく個人としてストレスにどう対処するかを述べています。
 その策ですが,他のカウンセリングの本とあまり変わりませんでした。
 臨床心理学を根本としている以上,変わりようがないのかなあという印象です。
 つまり,状況が特殊であっても対策は一般的ということです。
 抱えた問題と自分の状況のスモールステップによる分析。
 適切な自己表現による関係づくり。
 リフレーミングによる認知の変更。
 「べき」という暗示の自覚と新たな行動への一歩。
 自分は「もうだめだ」と認識する前に,これらのことをゆっくりでいいので着実に行っていくことが大切なのだと思いました。

 最後に本を閉じてから,頭に浮かんだことを述べます。
 たくさんの臨床心理学やカウンセリングの本を読んできてよかったなあ,ということです。
 自分は男性ですので,この本のような社会的文化的状況になることはないでしょう。
 しかし,自分が想定していない状況になっても,学んできたことによって対処できる,少なくてもどうしていいか分からないということにはならないだろう。
 そう思えました。
 つまり,少しは身になっているということです。
 これからも心理学の学問的,実践的な成果を学んでいこう。
 そう思いました。

 

 

人間関係でストレスを溜めないためには

 カウンセリングや臨床心理学の本を何冊も読んでいると,主張が重複していることも多くなります。
 多くの人が大事に思っているということは,おそらくそこが要点なのでしょう。
 一方で,その筆者独自の主張も分かるようになってきました。
 とはいえまだまだビギナーです。
 もっと多くの本を読んで見たい気持ちでいっぱいです。

 さて今回読んだのは「人間関係でストレスを溜めない技術」です。
 人間関係に焦点当てているのが特徴ですね。
 でも,アドラーによれば問題は人間関係から生じるといいますけど。
 読んだ感想を述べていきたいと思います。

 印象に残った一つ目は,相談することでマイナスになることもあるという主張でした。
 悩んだらまずは相談というのが,問題解決の初歩のような気がします。
 でも,そうではないようです。
 いや,相談したら小馬鹿にされたとかそういう論外な場合ばかりでもないのです。
 相談した相手の返答が自分の実力では実行できないとき,親身に答えてくれた友達の期待にそぐえなかったとき。
 こういうときは,相談したことそのものを悔いてしまいます。
 相談したことで,別の悩みを抱えてしまった場合です。
 相談するだけの関係ならよいのですが,相談した相手と様々な場面でかかわっている場合は,相談の結果がどうなったか相手も気になるわけで,それがプレッシャーになるのです。
 つまり,相談する相手との関係が大事になってくるのですね。

 印象に残った二つ目は,過去の失敗をひきずる場合の対処法です。
 過去を変えることはできないのに,過去の失敗をくよくよすることって,誰にでもあることでしょう。
 こういう失敗って,忘れようとしてもフラッシュバック的に突然思い出されるのですね。
 そういう風に思い出されるということは,心の奥底では解決されていないということなんだと思います。
 では,どうしたらよいのか。
 ひきずる過去を全体として扱うのではなく,細かな段階に分解をします。
 そうして細かな段階それぞれでどうしたらよかったのかを考えます。
 そうすると,自分が取り組むべき課題がはっきりしてきます。
 その課題が解決できればいいのですが,そういう場合ばかりとは限りません。
 その場合は,課題の解決を具体的なスモールステップで行うようにします。
 ひきずる過去を漠然とこわがるのではなく,客観的に分析して冷静に対応していく。
 仮に解決しなくとも,解決の見通しが立てばもうこわくはないはずです。
 過去から解放される方法の一つとして有効ではないかと思います。

 それでも,ストレスの気持ちが晴れないこともあるでしょう。
 筆者は気持ちの切り替えポイントとして5点挙げていました。
 自分をほめる。
 小さなことに感動する。
 そのうちよくなるさと考える。
 自分で自分におまじないをかけてみる。
 太陽の光をいっぱい浴びる。
 この辺りは他の本と共通する点も見られます。
 有効な気分の切り替え方は似てくるのでしょう。
 確かにどれも効きそうです。

 振り返ってみて,本書を読んで一番参考になったのは,問題に対してスモールステップで解決を図るという点です。
 段差が小さければ自分で解決できそうですし,解決すれば自信もつくでしょう。
 実際に問題に当たったとき,これならできる,やってみたいという気持ちになりました。


 

むくわれない人生と感じた時にどうするか

 今回読んだのは精神科医香山リカさんの「『むくわれない生き方』を変える本」です。
 自分の人生がむくわれないと感じている人に向けての本です。
 香山さん自身もむくわれないと感じていた時期があるそうです。
 私も自分の人生がむくわれていたとは思えていません。
 でも,こうした感じ方は日常をつまらなくします。
 乗り越えた方がよい感情です。
 本を読んで思ったことをいくつか述べていきます。

 むくわれない心理はどこからやってくるのか。
 香山さんがいうには,他人の存在が引き起こすとのことでした。
 とはいっても,他人があなたに直接何かをするわけではありません。
 他人の存在がむくわれないという気持ちを生じさせるのです。
 つまりは比較です。
 他人と自分を比較することで,むくわれないという気持ちが起きるのです。
 あの人より自分は努力をしている。
 あの人は自分よりいい環境に生きている。
 それなのに,あの人は自分より富や地位を得ている。
 自分はむくわれない。
 こういう感情です。
 不公平感ほど,人間の感情をゆさぶるものはありません。
 なので,いつまでも心の奥底にこの感情はいつづけます。
 他人が存在しなければ,同じ環境,同じ状況であってもこんな気持ちにはなりません。
 なるほど,むくわれなさに対する本質的な指摘だと思いました。

 では,むくわれなさにとらわれないためにどうすればよいのでしょうか。
 一つは現在の努力を将来の見返りに結び付けないことです。
 かさじぞうのおじいさんのですね。
 別にお礼がほしくてかさを被せたわけではありません。
 現在の生き方に没入すること。
 やっていて満足できる日々を送ること。
 こういうことが大切になるのだろうと思います。
 歴史上むくわれなかった人はたくさんいます。
 生前絵が一枚しか売れなかったゴッホもその一人でしょう。
 暗殺された坂本龍馬もそうです。
 彼らの人生はむくわれなかったのか。
 誰にも分かりません。
 そうした人を考えるとむくわれるという概念がゆらいできます。
 そんなことにとらわれずに生きる方が大切と思います。
 香山さんは施設にランドセルを贈ったタイガーマスク運動を例に挙げます。
 この運動は,感謝されたとしても自分が社会的に認められることはない運動です。
 しかし,伊達直人としてプレゼントをした人は幸福を感じたはずです。
 ここにむくわれなさはありません。
 誰かを幸せにする行動には,むくわれるむくわれないという観点が存在しないのです。

 香山さんはそれでもむくわれないと感じる人のために,具体的なアドバイスをいくつかしています。
 目の前に自分が現れたらどう声を掛けるか。
 寝るとき「今日もいい一日だった」とつぶやく。
 ふと空を見上げてる。
 このようなものです。
 自分に合った方法を選び,それで気分転換を図れればいいと思いました。
 むくわれた,むくわれないと感じることそのものが,あまり心の健康によくない。
 読後,そう感じました。
 自分の満足を追究することが,平穏や幸福につながるのだなあとつくづく思いました。

非定型発達って何?

 発達障害についての本を読みました。
 いつものように心理学の棚を探していて手に取った一冊です。
 パラパラとめくると,マンガでした。
 発達障害は心理学と微妙につながっている領域です。
 マンガで描かれていることもあって興味を持ち読みました。
 タイトルは「空気が読めなくてもそれでいい。」です。

 まず,この本は発達障害とはいっても,取り上げているのは非定型発達です。
 非定型発達とは何か。
 多くの人がたどる発達を定型とすると,それとはちがった発達をした人たちのことだそうです。
 別の言葉でいうと「グレー・ゾーン」です。
 発達障害と定型発達の中間といったところです。
 なので,ADHDやASD(いわゆる自閉症的な障害)の傾向を持った方々といったところでしょうか。
 通常の社会生活はおくれるものの,社会生活にストレスを抱えがちな方々です。
 この本では,トリセツと称して,それらの方々の過ごし方や接し方を述べています。

 マンガの部分を執筆しているのは細川貂々さん,自身も非定型発達と診断されています。
 解説部分を執筆しているのが精神科医水島広子さんです。
 非定型発達の方が著者ということもあって,困り感が臨場感をもって伝わってきます。

 印象に残ったことの一つ目は,マルチタスクができないということです。
 マルチタスクとは,同時並行的に様々な課題を行うことです。
 二つぐらいのことを上手にこなしている人ってたまにいますね。
 そんな感じです。
 日常的には,2種類の料理を同時に作る方もマルチタスクをこなしているといえるでしょう。
 非定型の方はこれが苦手で,一度に一つのことしかできないのだそうです。
 例えば,歩くことも十分マルチタスクになるとのこと。
 手と足を別々に動かしてなどと考え始めるとできなくなるのだそうです。
 そしてそれがストレスになるのだそうです。
 対策としては,マルチタスクとなるような仕事につかないこと,仕事の手順を明確にして迷わないようにすることなどがあるとのことです。
 この特性がプラスとなる場合もあり,すごい集中力を発揮できる場合があるそうです。

 非定型同士だとうまくいかないということも印象に残りました。
 似たもの同士だと安心するかと思いきや,互いに相手に不満をもつようになりがちなのだそうです。
 なので,特性を理解している定型とならうまくできるというのでした。
 かといって,私は特別だからとばかりいうと,やっぱり疎まれるのだそうで,この辺りは相手によるのだそうです。
 ちなみに細川さんの夫はいい感じで理解してくれているとのことでした。

 また,人の心を想像することが苦手というかできないので,「雰囲気で分かってよ」みたいなことはとても苦手なのだそうです。
 ですから,女子のおしゃべりが最も苦手なジャンルになるのだとか。
 無理に会話についていこうとするとストレスなので,話をふられたらよく分からないとか驚いたとか率直に返していくとよいとのことでした。

 非定型というと特別な人のように思いますが,こういう人は身の回りにいたように思います。
 また,自分もそういう面がないとはいえません。
 なので,こういう人もいるんだと分かって接していくと自分のストレスもなくなるのではないかと思いました。
 非定型だから悪いのではなく,非定型の方が貯めるストレスが悪いのです。
 ストレスのない社会にしていけば,周りも含めて生きやすくなるのではないかと思いました。