ギスカブログ

釣り・読書・ウクレレ「ギスカジカ」のブログ

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カルトとかそういうの

祝日なので、ゆっくり朝食をとってテレビを見てました。

番組はワイドショーです。

統一教会についての話題を取り上げていました。

例の銃撃事件以来の批判です。

これ、世間ってほんとに今知ったんでしょうか。

旧統一がやばいってもう私が大学生だった40年前から常識だったと思います。

勝共なんちゃらとか、いろんな名前で存在してましたけど。

そのことをちょっと語ってみます。

私が学生だったのは80年代の中頃です。

大学に行って驚いたのは、学生運動の残りがまだ残っていたことです。

バスで学校に行くんですけど、学生が降りるところでは、拡声器パフォーマンスが毎日行われていました。

タオルで顔半分かくして演説です。

教室には、反米的な落書きで埋められています。

中核なのか何なのか、名前は分かりませんでしたけどね。

そして、○○とか△△とかの宗教系のサークルの勧誘もいっぱいありました。

ビラもいっぱいもらったなあ。

読まずに捨ててましたけど。

私にとって、学生運動も宗教系団体もその他のグループもみんないっしょでした。

全部同じカテゴリーに入れてます。

どういうカテゴリーかっていうと、人間を取り込んで利用する団体っていうカテゴリーです。

これ大学でなんで盛んかっていうと、取り込みやすいからなんですね。

学生って親元から離れることでコミュニティから離されます。

つまり一人になります。

その一人になったものを組織が取り込もうとしていたんです。

まあ組織の信念はいろいろあるんでしょうけど、私にとってはみんないっしょでした。

どうせ立前だろうと思ってましたし。

ようするにきれいごとをいって、労働力としてであれ、金づるとしてであれ、人を取り込んで利用しよう。

そういう組織がいっぱいあったんです。

旧統一もその一つです。

まあ中には立前を信じ、純粋に世の中を変えようと思った人もいたのかもしれません。

しかし、常識でながめれば、理念と実際の活動の乖離があり過ぎて、相当の理由がないと信じ切れなかったとは思います。

カルトという言葉を知ったのは、オーム事件のあたりなので、当時は知らなかったと思います。

しかし言葉を知らなくとも、知識は常識となりました。

人を利用しようとする団体がこんなにあるんだというのは、最初は驚きだったんですが、入学して数ヶ月もすれば陳腐な常識になっていました。

大学でぼっちとか寂しいっていいますけど、こんな団体に入るくらいならぼっちの方がよっぽどいいと思います。

何となく美しい教えを語りながら人を利用しようとする悪意を持っているというのも変な話ですが、そもそも悪人なら何でも利用するので内部矛盾はないのでしょう。

そうそう駅前広場で、女性二人にセミナー勧誘されたことがありました。

あれってやっぱり二人一組なんですね。

人が話しかけられているのを見たことは多かったけれど、どれも二人一組だったし。

で、どっちかが美人なんですよ。

両方美人だと気後れするからかなあ。

まあ、こっちが何も困っていないっていってるのに、悩みがすっきり解決するのでぜひ行きましょうっていう、なんだか分からない勧誘でした。

よほど、悩み深い顔だったのかもしれません。

当時は今日と同じ明日が来るくらいの何も考えていない毎日を過ごしていたので悩みはなかったですけどね。

10分以上話して、もう嫌になって振り返らずに歩き去りました。

ホントはバスに乗りたかったんだけど、バス停についてこられたら嫌だったんで、一つ先のバス停に遠回りして行ったのでした。

さて、当時のそれらの団体への認識は、関わると就職もできないし一般社会に復帰もできないというものでした。

関わればその団体の中で生きていくしかない。

こんな感じで、もうやばいというイメージだけでした。

でも、壺売りとかは知らなかったなあ。

まだやってなかったかも知れませんね。

私は普通の社会人になりたかったので、こんな道はごめんだと思ってました。

さて、カルトです。

こういう団体を信じるのも人の自由だって意見もありますが、信じるのは自由でも信じたことで人の自由を制限したらダメだと思うのです。

今回の容疑者は、犯罪はもちろんよくないのですが、親に自由を制限されていたと思います。

なので、墜ちていく自由はあるのかもしれませんけど、人を巻き込む権利はないので、この手の団体は制限を受けるべきじゃないかなあ。

宗教なのに政治家というか権力者に取り入ろうとしているのもどうかと思います。

いわれる選挙の手伝いだって、労働力の搾取なんじゃないかなあ。

あくまでボランティアと言い切るのでしょうけど。

まあこれらに対する基本対策は、近寄らないですね。

自分の人生が知らないうちに誰かの人生になってしまいかねませんから。