苫米地英人さんの著書です。
苫米地さんといえば、オーム真理教の事件の解説やマインド・コントロールを解くことで有名になった方、という印象です。
肩書きは、認知科学者となっています。
認知科学とは何か。
80年代に盛んだった人工知能につながる研究分野です。
認知心理学とか認知科学について述べると、それはそれでおもしろいのですが、たぶん興味ない方には面倒くさく感じるでしょうし、読書感想からどんどん離れていくこと間違いなしです。
なので、誤解が生じるくらい簡単にいうと、AI研究の基礎の一部をなすものです。
このくらいで押さえで勘弁してください。
さて、そういう専門分野の方が「性格」についての本を出しているのです。
どういう視点なんだろうという興味が湧きました。
読み終えました。
一番最初に伝えたいことは、この本を30分で読み終えたということです。
内容じゃないのかい、というつっこみは想定してます。
一応238ページありました。
速読を自慢したいわけではありませんし、私は読むのが速いわけでもありません。
ありていにいって、内容が薄かったからです。
本書の構造はこうでした。
性格を固定的なものと考える人は多いが、そうではない。
性格や心というものは、実態のないものだ。
それは、本人の思い込みからできている。
思い込みなのだから、心の持ちようで変えることができる。
しかし、人間は心理的な居心地のいい場所(コンフォート・ゾーン)に留まりたがるし、あれども見えない心の盲点(スコトーマ)もあるため、なかなか変わらない。
目標(ゴール)を明確にして、具体的な一歩を踏み出していこう。
まあ、こんな感じです。
後は、仏教的なコメントもそこかしこに散りばめられていたり、日本人は儒教にとらわれているという主張があったりもするのですが、まあさほど重要とは思えませんでした。
性格を変えたいと思っている人への応援をしようと思って本書を書いたのかな。
それとも、本当に性格といわれるものを解明しようと思っていたのかな。
後者だとしたら、論の展開が雑ですね。
性格が、刺激に対する反応の傾向であるとするのは、まあ心理学的にはいいと思います。
そして、その反応の傾向が当人にとって心理的に価値があるものであることは間違いのないところでしょう。
しかし、それを幻想だから捨てられるというのは、雑です。
本人にとって、心理的に価値があるからそういう傾向が作られたわけで、そこにしっかりと向き合わないといけません。
実態のない概念なんて人間社会にはいっぱいあります。
そして、実態がないにも関わらず存在し続けているのには、存在するだけの価値や理由があるのです。
そこを分析しないとね。
思い込みをなくせば、変わるぜ、さあ変えよう。
それで変われたら、どんなにいいことか。
まあ、気晴らしや外野で応援する分にはいいでしょうし、性格決定論的な信念の持ち主にはいいかもしれませんが。
これならアドラーの「性格は変えられる」という議論の方が、よっぽど有用です。
アドラーは引用すらされなかったので、視野に入ってなかったのかな。
心理学で、「性格」「変える」といったら、まず取り上げる学者だと思うのですが。
一方、仏教の縁起については、ところどころに現れてきます。
マインドフルネスをで分かるように、臨床心理学と仏教は親和的な部分があるのですが、それにしても心理を教義で説明するのは行き過ぎでしょう。
ちょっと引きました。
総じての結論は、お時間があるなら目を通しててもいいかも、というくらいの本です。
そのお時間も、あまり長くはないと思いますが。
2019年刊で1300円(税別)。
安いとは思います。