ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

お金の信用について思ったこと

1 はじめに

アメリカの債務上限問題が解決したようです。

最近、米国債投資に興味を持ったので、こういうニュースが気になります。

この問題自体は,民主党共和党の政局問題化しているようです。

どこの国でも、こういう問題はあるのですね。

まあ、本当に駆け引きの問題ならば本質的問題にはなりません。

とは思ったのですが、ここから考えることがありました。

債務とMMT(現代貨幣理論)の問題です。

2 アメリカのデフォルト

前回,米国債に本についての書評を書きました。

そこで,米国債は信用度が高いと述べました。

フィッチが今年AA+に下げて話題になったくらいです。

世界最強の経済大国であるアメリカ。

そのアメリカが債務不履行になることは,なかなか考えにくいです。

アメリカがダメなら、世界中で信頼できる国などありません。

とはいうものの、債務不履行問題はそこに影を落とします。

万が一、債務上限を超えた債券を発行することを認める法案が成立しなかったら、一部の政府機関は仕事をやめます。

つまり、政府が停止するということ。

それは政府の信用が揺らぐということです。

風が吹けば桶屋が儲かる

このことがどんどん発展して、最後には債務不履行まで進む。

こういうシナリオも想定できなくはありません。

まあ,その前に何らかの対策は取るでしょうから,現実的ではないのですが。

ここでおもしろいのはアメリカは,国債というものは基本的に発行したくない国だということです。

つまり,借金はだめということ。

国レベルでも、通貨発行権をもっていても、借金はだめ。

こういう思想です。

現実には、アメリカも莫大な借金を持っています。

しかし、本当は持ちたくないのです。

MMT(現代貨幣理論)のみなさんは,このことをどう考えているのかな。

通貨発行権を持っている国家は、自国立ての債券をいくら発行しても破綻しない。

満期の債券をまた買い取り、借金を未来へ繰り延べ続ければよい。

こういうことを主張している方々がいます。

借金を嫌う米国の考えは古典的で誤っている。

こんな風にいうのでしょうか。

3 暴動は制御できない

さて,金融システムをわりと簡単に破壊する行為に取り付け騒ぎがあります。

これはなぜ起きるかというと、銀行は総預金分の現金なんてもっていないからです。

当たり前ですね。

だって、どこかに貸しているのですから。

それをどんどん引き出そうとする。

取り付け騒ぎというのは、こういうことをするのです。

それで、払いきれなくなって破綻。

こんな図式です。

これ、紙幣ベースで考えられてきたんですが、みんな他の銀行に振り込みするなど現物を使わない場合も起きるのかな。

まあ、起きるんでしょうね。

それで、これを防ぐためにはどうしたらいいか。

最近、アメリカで銀行がつぶれた時にアメリカ政府がしてましたね。

預金を全額保障する。

こういうことで防げるようです。

ところで、取り付け騒ぎが起きる銀行が本当に経営が怪しかったのなら仕方がないんですが、経営が健全な銀行でも取り付け騒ぎは起きます。

そして、不幸なことにつぶれます。

これってなんでこうなるのでしょう。

お金の信用が人間の心理を基盤にしているからです。

根拠のない取り付け騒ぎは、不安に駆られた感情的行動です。

お金は信用で成り立っている。

そういう見えないものを土台にしているので、根拠のない感情的な動きにもゆらいでしまうのですね。

アメリカが借金を嫌うのもこういうところが関係しているように思います。

つまり、現実には破綻する可能性がなくとも、借金が増えてデフォルトしそうだという人間の心理が大きくなり、ひいては暴動的な動きになったとします。

それを止める方法が、残念ながらないのです。

現代貨幣理論の説明って、ここが弱いと感じるんです。

金融システムって、人間のもつ信用するって心に基盤を持っているから、あやふやな正しいのかそうでないのかよく分からない理論、生活実感を伴わない理論、じゃ止められないんです。

みんながダメと思ったらダメ。

本当にダメかは二の次です。

4 最後に~インボイス制度について~

この10月にインボイス制度が適用されました。

消費税の免税業者からも消費税を納付してもらう。

そういう制度のようです。

これを新しい増税だ、納税者は消費者から税金を預かっていない。

とこう主張している方々が多くいます。

判例などを示しながら、正当性を訴えます。

しかし、広がりません。

なぜでしょう。

税の法規的正当性は、そう主張している人たちにありそうなんですが、妥当だという実感がないからです。

つまり、消費者は業者の大小に関係なく消費税分を払っています。

そもそも、商品やレシートにそう書いてあって、そういうものだと思って支払っているのです。

そして、納税免除されていた業者が消費税分をとらなかったということもない。

今さら経費だ正当な利潤だといわれても実感がない。

こんなところです。

法律の立て付けがそうなっていませんよといわれても、なら消費者に消費税と表示しない方法で販売してこなかったのはなぜか。

これへの解答がない。

法律的にそれはできなかったといわれても、ならば正しい値段表記の在り方に改正する運動をしてこなかったのはなぜなんだろう?

ということも説明してもらえない。

その理屈が正しいのだとしても、自分にふところに入る正当な利潤を「すみませんね、国がこういっているんで払ってください」といい続けてきたことと整合性がとれない。

一貫性がない。

と思うからなんですね。

簡単にいえば、消費税を消費者が払っていない論者が正しいのだとしても、その理論は信用されていないわけです。

お金にまつわる話は、どうしても信用から逃れられないなあ。

と、思ってしまいました。