レジリエンスという言葉が心理学で注目されています。
逆境やトラウマ体験,悲惨な出来事,進行中の大きなストレスなどにうまく適応することと定義されています。
レジリエンスを持つということは,心理的に耐性力があるということです。
こういう力を持った人が生きる力を持つといわれているわけです。
レジリエンスを持つ人のことをレジリエントといいます。
このレジリエントのことを調べた本があります。
「逆境に生きる子たち」です。
著者はメグ・ジェイさん,アメリカの臨床心理学者です。
まだ,第1章しか読んでいないのですが,この邦題はいただけないと思いました。
原題は,Supernormalです。
普通を越えた人たち,というほどの意味で,レジリエントを言い表すのに適した言葉としてメグ・ジェイさんが選んだのです。
つまり,社会的にはもう悲惨じゃない人生を歩んでいる人たちです。
発行社は,日本人の判官贔屓に寄せた題名を選んだのかもしれません。
しかし,レジリエントは非力ではないのです。
私もレジリエンスには,以前から興味がありました。
東日本大震災の被災者として,多くの逆境を生きる人たちを見てきました。
震災直後に,多くのカウンセラーがやってきました。
多くは行政が依頼したものでした。
中には,ボランティアとしてやってきた人もいました。
そして,多くの人とカウンセリングをしました。
当時,私も一度だけ受けました。
割り当てられたのです。
しかし,私からすれば雑談をしただけでした。
そして,おそらく多くの方は,私と同じ感じだったように思います。
当時,ちょっと気になったことが地元の新聞に載っていました。
不登校の数が減ったというのです。
家にこもっていないで世の中に出たのでした。
震災直後,心理的ショックを受けた方は多いはずです。
しかし,その時心理的ショックで動けなくなった人はかなり少なかったのです。
かえって,動いていなかった人が行動をしたのでした。
そんなことがそこかしこで起きていました。
もちろん,何年も経った後に心理的問題を発生させる。
そういうことはあると思います。
つまり,問題は心の底に巣くうというわけです。
しかし,表面上は健康でした。
これもレジリエンスのなせる業なのでしょうか。
災害が起きた時,誰もがレジリエントになれるわけではありません。
そのまま生きる力をなくす人がいることも事実です。
その違いは,何から生じるのでしょうか。
さて,震災でやってきたカウンセラーですが,結局は発達障害の子やら心理疾患のある方のカウンセリングを中心にしていたようです。
つまり,通常と変わらなかったのでしょう。
あるいは,通常よりも利用される方が少ないくらいだったと思います。
もちろん,中には大きな心理的な傷を抱え,カウンセリングを必要とされる方もいました。
なので,役に立った面は確かにあったのですが。
さて,心理的に悪影響を与える出来事の乗り越え方はいろいろです。
また,必ずしも乗り越えたからいいというわけではないようです。
また,ある人の乗り越え方が他の人の参考になる保障もないのです。
それでも,どうやって乗り越えたかを私は知りたいと思います。
スーパーノーマルではないノーマルな自分としては,自分のノーマルな傷を癒やすのに役立たないかなあと思っているのです。