ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

ダイソーの釣り具

今日は朝から雨でした。

草刈り作業が予定されていたのですが、この雨天で延期です。

最近の天気予報がよく当たるので、昨日のうちに決まっていました。

それでも、晴れないかなと思っていたのですが、朝方はけっこうな土砂降り。

まあ、中止も妥当といったところです。

さて、雨となるとすることもないのが最近の自分です。

忙しくないのはいいのですが、何か休日を無駄にしているようで落ち着きません。

それで、ダイソーに行ってみました。

目当ては釣り具です。

最近、YouTubeの釣り動画で、ダイソーの釣り具をやたら褒めるものが増えています。

100円のものがしっかり使える、という意外性がいいのでしょう。

私も見入ってしまいます。

その釣り具の中で気になっていたものがありました。

道糸とジグです。

100円の200mの道糸が売っているのです。

衝撃です。

道糸は1000円以上出してちゃんとしたメーカーのものを買う、というのが一流の釣り人です。

なぜなら、道糸はサカナと人をつなぐ一番大事なものだからです。

というわけで、私もそうしていました。

しかし、ですね。

ダイソーの道糸なんですが、これがきちんと均一に巻かれていて、とてもいい加減なものに見えないんです。

ただし色が個性的で、どピンクと黄色しかないんですが。

ちょうど、スピニングリールの道糸がダメになって捨てたばかりでした。

買って試してやろう。

そういう気持ちになったのです。

気になるもう一つのジグというのは、メタルジグというルアーです。

金属製の板にキラキラした塗装を施したもので、引いてもアクションはしません。

しかしながら、昔から海ではよく使われていて、回遊魚系がよく釣れるルアーです。

動画で釣れているのを見たんですね。

そうしたらどうしてもほしくなりました。

というわけでダイソーに直行です。

で、購入したのは、2号の黄色の道糸と5gのジグ、そしてワームをつけるジグヘッドです。

ジグヘッドは、衝動買いでした。

いけませんね。

さっそくリールに糸を巻きました。

いい感じです。

黄色もそんなに目立たない感じ。

3時過ぎになってようやく雨がやみました。

いてもたってもいられず、防波堤に出動です。

海は予想通り激濁り。

釣れそうもありません。

が、今日は道糸のテストです。

ジグヘッドにワームを付けてキャストしました。

リフトアンドフォールで動かします。

糸はいい感じ。

柔らか系の糸でよれには強そうです。

根掛かりした際に、手で引っ張ったら。手のひらが痛くなりました。

強度も十分です。

釣り糸には、張る系の糸と柔らか系の糸があります。

私は柔らか系が好きなので、この糸は好みですね。

おそらく伸びやすいのでしょうけど、シビアに当たりをとる釣りをしませんし、柔らかいと結んだりサカナをいなしたりするのが楽なので、これで十分という感じです。

後は耐久性ですが、これは使っていかないと分からないので今日は不問。

気に入りました。

欠点がみつかるまでは、ダイソーの糸を使いそうです。

まあ、ダイソーなので安定供給はないでしょうけどね。

さて、ジグですが、ジグヘッドに変えて投げてみました。

こちらも操作性はいいです。

まあ、ジグヘッドってそんな個性が出せるルアーじゃないので、他のと差がないってかんじです。

ただし、サカナは釣れませんでした。

これは、ジグのせいというよりは大雨直後ということが影響していると思います。

一度、当たりが足下でありました。

のぞいてみると、まあにごっていたんですが、水面までサカナが近づいていたので、正体が分かりました。

イワシです。

イワシの群れがキラキラしたものにアタックしていたんですね。

当然、針がかりはしません。

サビキがあればなあ、という感じです。

さて、ダイソーの釣り具ですが、お値段以上で使えるということが分かりました。

全部がいいというわけではないでしょうが、道糸とジグは使えそうです。

いつでもある品揃えになればいいなあと思いました。

読書感想「火星からの侵略」

『火星からの侵略」と聞けば、SFかと思うでしょう。

ちがいます。

パニックの心理学的研究の本なのです。

ハロウィーンの日にラジオドラマが放送されました。

かなりの聴衆がそれを真実と思い込み、パニックになったのです。

実際にあったこの現象だそうです。

これを研究した方がいたのでした。

実は、私の世代は実際の中身は知らなくとも、この事件のことを知っている人が多いと思います。

特に男性。

これジャンプとかマガジンに載ってた英語リッスン教材に取り上げられていたんです。

語り手はオーソン・ウェルズ

どんな映画やドラマに出ていたか知りませんが名前だけは知っています。

名優だそうで、その語りが多くの人に虚構を真実と思わせたのだそうです。

毎週載っていたのでよ~く覚えています。

オーソンの名演を聞いて、英語が身に付く。

教材を聞いたことなど一度もないですけど、ウソくささ満載ですね。

昭和の通販ってこんな感じでした。

さて、この事件はラジオ黎明期の1938年に起きました。

まだラジオがどんなメディアか普及していなかった頃です。

なので、このような現象への対策はまだなかったのです。

それで実際に起こったパニックとは、どんなものだったのでしょう。

公園に逃げ出した。

ガスを防ぐためにタオルで顔を覆った。

警察に電話が殺到し、電話がつながらなくなった。

神に祈る人が増えた。

こんな感じだそうです。

正直な感想をいうと、小規模に感じます。

暴徒化したり、大渋滞引き起こしたり、機動隊が出動したりは起きなかったのですね。

電話がふさがった以外は個人的な反応ばかりです。

全米を恐怖が包んだというには、たいしたことないようです。

このことについては後でふれます。

さて、どのような人がラジオを誤解したのでしょうか。

必ずパニックを起こすのはこんな人だ、というわけではないのですが、こんな傾向があったそうです。

まずは、冒頭のこれはラジオ劇だという説明を聞き逃した人たちです。

ラジオがウソを流すわけがない。

そう考えたそうです。

メディアに対する信頼というものでしょうか。

しかし、ドラマをニュースと勘違いするというのは、やはりラジオ黎明期ならではといいますか、聞き慣れていなかったのが大きいかもしれませんね。

実際、冒頭を聞き逃した人の中にも、ラジオ劇が現実と合わない点を聞き出し、ああ劇だ、と考えた人も多かったといいます。

次に、低学歴です。

高校卒業していない人の方が、信じる割合が高かったとのこと。

とはいっても、高卒未満の人でも気づく人はいたようで、決定的ではなかったようです。

経済的な理由で進学できなかった人もいたでしょうから。

最後に信仰心が強い人です。

神の審判が始まったかと思ったそうです。

しかし、これも決定的な要因ではなく、どちらかといえば現世に不満を持っている人が考えがちだったとのことでした。

終末願望って、いつの時代にもありますから。

さて、本書は火星侵略パニックの唯一の学術本だそうです。

本書はパニックが起きたということを前提としています。

しかし、現在の研究では、パニックは起きなかったという研究が主流だそうです。

本書以外は、信頼が薄い報告しかないのだとか。

な~んだ。

となってしまいそうですが、最初の実際に起こったパニックを見てみると、そうだろうなって感じです。

そういう反応をした人もいたんだろうぐらいの反応ですもの。

新しいメディアの影響力のような感じで、取り上げられたのでしょう。

まあウソ話と切り捨てる前に注目したい点があります。

それは、公共情報を自分で判断する時、人はどういう根拠でどういう推測をするかについて多くの知見を与えてくれるという点です。

これは不慣れなメディアへの対応ということに大きな知見を与えてくれます。

実際に起きたラジオの悲劇としては、1994年のルワンダ虐殺の方が実害が大きいでしょう。

たくさんの人が亡くなりました。

こういうことがあるのだから、メディアに対する盲信は危険だと思います。

この種のだまされやすさの研究は、パニックがあったにせよなかったにせよ、続けてほしいと思いました。

 

仙台育英優勝おめでとう

甲子園で仙台育英が優勝しました。

宮城県民としてはうれしい限りです。

東北というか宮城は甲子園で優勝できないと思っていましたから。

しかし、高校球児の減少、野球人気が低下してきたところで優勝。

そういうものかなと思いました。

さて、80年代に青春を過ごしたものとして、仙台育英のイメージはやはりその頃のものになります。

ちょっと思い出を語らせてください。

仙台育英は、私立のマンモス校です。

昔は特別進学コースもなく、ただの私立でした。

宮城は別学の高校が普通だった頃です。

進学校の滑り止めは東北学院、普通の高校の滑り止めは仙台育英など。

そんな感じでした。

高校は宮城球場ネーミングライツで名前今どうなってんでしたっけ、楽天生命パーク宮城か、の近くにあります。

最寄り駅は、仙石線城野駅だったかな。

で、この仙石線が通学電車なんですけど、育英生はガラがあまりよくなく(昔の話ですよ)、まあ見た目だけで心はきれいなのかもしれませんけど、近づきにくい存在でした。

部活で対戦して話すといいやつ多かったなんて聞いてましたけど。

あと、就職してから仙石線沿線に住んでいたことあるんですが、育英というか秀光学園(育英の中等部または中高一貫校の名称です。運営母体は同じ)かなあ、多賀城の方を校舎にしていた時の仙石線多賀城駅もすごかったなあ。

遠目ですぐ育英生だって分かりましたもの。

何で分かったかは想像にお任せします。

さて、宮城球場でチケット売りのバイトをしていたことがありまして、休憩時に試合を見てたりしてたんですが、仙台市民に育英は人気がありませんでした。

強いんですよ、昔から。

でも、公立と当たったら、応援席に人数は雲泥の差。

育英のスタンドは、ベンチに入れない野球部員が一生懸命応援していたというイメージです。

準決勝、決勝になるとさすがに学校総出で応援に来てましたけど。

それで、仙台市民は露骨でして仙台の公立校と育英が当たると、もう公立校の応援一色で、ヤジが飛びまくってましたね。

特に中高年のおじさんから。

でも、結局は育英が勝つんですけど。

80年代の育英はそんな感じです。

育英の試合で思い出に残っているのは、大越投手がいた時代、甲子園の決勝戦です。

宮城の高校が決勝まで進むのはまれでした。

その頃、卒業旅行だか、就職1年目旅行だか忘れましたが、大学時代の友人と佐渡まで旅行して、帰りにラーメン食べようと喜多方によったのです。

その日が、その試合の日でした。

茶店、だったと思うのですが、でねばって延長戦まで見てました。

帝京はとんねるずの貴さんが応援に来ていたなあ。

大越投手投げたり打ったり走ったりして、一人大活躍でした。

勝たせたかったなあ。

でも、延長で負けたんですね。

つくづく東北は勝てないんだなあと思ったのです。

こんなすごい選手がいても勝てないのだから。

大越投手、今、山口県で野球を指導しているそうです。

今年の決勝は、下関国際が相手。

不思議な縁を感じました。

さて、昨日からの宮城は、仙台育英の優勝で持ちきりです。

宮城の地方紙、河北新報のはしゃぎぷりったらないです。

1面と最終面をつなげて、仙台育英優勝という紙面を作りました。

新聞の外側全部育英優勝ってことです。

そのためTV欄は、中に移動してました。

うれしいんだなあ。

宮城の中で仙台育英の株も上がることでしょう。

いいことだと思います。

私立の強豪校というのも少子化のせいもあって、少なくなってきました。

大魔神ダルビッシュが在籍した東北高校は、もうあまり話題になりません。

そんな中、昔からのイメージを持ち続けている仙台育英に敬服します。

駅伝でアフリカからの留学生を使うんじゃないとかいろいろ言われてましたけど、育英カラーを持ち続けているのは、うれしい限りです。

東北の高校で初めて甲子園で優勝したのは仙台育英

この栄光が忘れられることはないと思います。

仙台育英、優勝ほんとうにおめでとう。

 

 

 

読書感想「イカ先生のアオリイカ学」

釣り人の本ですが、釣り方の本ではありません。

いわゆる釣りの参考書ではない釣りの本です。

アオリイカの生態や分布などを釣り人が説明しています。

著者は医師で釣り人のようです。

こういう視点の本もおもしろいですね。

さて、アオリイカというイカをしっているでしょうか。

日本の沿岸各地に住むイカで、ずんぐりむっくりのイカです。

イカは細身のものが多いのですが、太く短い体型をしています。

釣魚として人気が高く、食べてもおいしい高級魚でもあります。

ただし、私の住む三陸海岸では、まず捕れません。

まちがって黒潮に運ばれてきたのがいるくらいです。

なので、ねらって釣る人はいません。

人気があるので残念です。

この本にも載っている分布図でも三陸海岸にもいるように書いてあります。

いない、というか0ではないですが、いないと断言してもいいくらいの密度です。

たまに定置網に入ったりするのをいるという風にはいえないと思います。

脱線しますが、こういうのってけっこうあります。

クロダイカサゴなども、もういないといっていいくらいの密度です。

海はつながっているので、死滅回遊魚的に流されてくるのは根魚系でもいるはいるんです。

でも、それは定住しているわけではないと思います。

さてアオリイカですが、釣魚として人気が出たのはエギングという釣り方が普及したからです。

ルアー釣りの一種です。

この釣り方が開発普及したので、全国的に人気になったのです。

使うルアーはエギといいます。

おしりにイカをひっかけるカンナを付けた、サカナかエビのような形をした仕掛けです。

まあこんな形です。

これ私は名前から考えてもエビを模しているかと思ってました。

本書によると、アオリイカの食べ物は、ほとんどがサカナだそうです。

なので、アオリイカにとってこれはサカナだったのです。

ルアーがサカナやイカからどう見えているかは永遠の謎ですが、エギがほとんど食べていないエビでないことは確かなようです。

意外。

まあ、動かし方もエビじゃないので、サカナで正解なんでしょうね。

ちなみに動かし方は、底に沈める、跳ね上げる、沈める、の繰り返しです。

もう少し、凝った動きはさせるようですけど、基本はこんな感じです。

さて、アオリイカというイカは1種類だと思っていたのですが、実は3種類いるのだそうです。

シロイカ、アカイカクワイカだそうです。

一番多いのがシロイカ、大型になるアカイカ、南洋系で小型なクワイカとのこと。

アカイカの大物はレッドモンスターといわれ、釣り人の憧れだとか。

何年もねらっている人、きっといるんでしょうね。

それから、太平洋側と日本海側では1年の過ごし方が違うのだそうです。

太平洋側は水温の変化がゆるやかなので、あまり大きく移動しないのだとか。

それに対して日本海側は冬季に急激に冷えるので、寒くなると南や沖に移動するのだそうです。

しかし、これには残念なことがあって、能登半島を越えて南下するのが難しいのだそうです。

富山湾で行き止まり、富山湾の深いところに逃げるのですが、水温低下には勝てず死滅してしまうのだそうです。

なんとも残酷。

とはいえ、イカの寿命はいずれにしろ1年なんですけどね。

逆に1年でよくあの大きさまで成長するものです。

骨がないので成長しやすいという説を本書では紹介していました。

このように本書は、アオリイカの知らなかった知識をこれでもかと教えてくれる内容になっています。

サカナって生態が分かっているようで、よく分からないものが多いんです。

ですから、こういう本はほんとおもしろく読めます。

釣り人以外に興味をもつ人は、ないんじゃないかなあと思いますけどね。

 

マゴチが釣れた!

数年前からやりたいと思っていた釣りがあります。

ハゼクラ。

ハゼをクランクベイトで釣るというものです。

ハゼを釣るだけならイソメのミャク釣りでいいんですけど、ルアーで釣るというところにロマンを感じています。

当然使うのは、極小クランクベイト。

はっきりいえば、管釣りニジマスをねらうやつです。

一時期、管釣りに凝っていた私は、それ用のクランクを多数持っていました。

なので、すぐできると思ったのです。

というわけで、ハゼが釣れているという近所の河口に行きました。

雰囲気よし。

ハゼいそう。

さっそくキャストです。

が、実際にやってにみたら問題発覚です。

管釣り用のクランクといっても種類があります。

一番は潜る深さです。

私は、表層・中層用しか持ってなかったんですね。

通っていた釣り堀が深くなかったので。

深場はスプーンのデジ巻きで対応していたので、深場用クランクは必要なかったのです。

でも、ここは潮の影響を受ける川。

浅場用クランクじゃあ川底に探れません。

ハゼは、メバルじゃあるまし上層を向いてエサを待つわけはないし。

困った。

ということで、クランクの前にガン玉かませて、スプリットショットクランクにしてみます。

それ風の名前にしてますが、応急処置です。

さて、どうなんでしょう。

クランクの前を進むガン玉が、ハゼをけちらちそうですが。

というわけで、30分くらいねばったのですが、当たりなし。

にわか雨が降ってきたので、クルマに逃げて雨宿り。

そのうち、川変えた方がいいんじゃねって思って移動しました。

家族連れが来たので、じゃましちゃ悪いと思ったのです。

小さい川でしたので。

それで次の川に来たら釣り人なし。

ということは、おそらく釣り実績もないかも。

おまけに潜水夫さんが仕事してました。

あの地上からパイプで空気を送って、水中で仕事をする潜水夫さんです。

しかも、河口付近は工事中で立ち入り制限中でした。

なんとかできそうなところで、数投投げたのですが反応なし。

というか釣りづらい。

河口はあきらめて隣の漁港に移動しました。

ここは水深が数mです。

深いのでハゼクラを断念しました。

残念、次回またチャレンジです。

ジグヘッドとシャッドワームにチェンジして、根魚をねらいます。

極小ワームをもっていたら、ハゼもねらえたかもしれませんが、まあ今日はハゼはあきらめました。

漁港のヘチをワームの上下運動で誘います。

リフトアンドフォール。

アイナメ、ソイねらいですね。

とはいえ、中規模の河口近くの漁港です、底は泥・砂底なので、根魚は厳しいかなと思ってました。

ヘチをねらったのも、他に魚がつく障害物がないのでやったというのが正直なところ。

すると、抵抗がありました。

根掛かりかな。

今日のロッドはSULのニジマス用です。

ハゼを釣るのにパワーはいらないということで、やわやわロッドを使ってました。

やわらかい上に、根魚ロッドに比べれば胴調子なので、ホントこんなワーム釣りでは当たりをとるのが難しいのです。

巻き釣り用のロッドですからね。

なので、根掛かったなあと思ったのです。

しかし、首振りがありました。

サカナだ。

ドラグのゆるゆるにしていたので、糸が巻けません。

締め直して、巻きます。

重い。

というか、SULなので上がらないんですね。

ニジマスなら大物でもこれで大丈夫なんですけど。

管釣りは障害物ないので、ドラグで糸出しても問題ないので。

海ではそんな風にはいきません。

底に障害物なくとも、船のロープや漁港の壁カキにこすられたら、一発です。

糸、6ポンドだったかな。

まあ、なんとか底から離し、壁に近づけずに巻いてくると魚体確認です。

あれは。

なんとマゴチでした。

まさかのフラットフィッシュ。

条件考えれば確かに生息域ですが、珍しい。

ようやく釣り上げました。

マゴチ

ロッドと大きさ比較。

アンダースピンとマゴチ

マゴチとしては大きくないのかもしれませんが、30㎝越えです。

いやあ驚いたし、うれしかった。

で、久々に仕掛けを飲み込まれました。

当たりが取れずに放置していたからね。

ペンチで外しましたが、ちょっと反省です。

リリース前提の釣りなので、気を付けているんですが。

無事、海へと帰っていきました。

そうしていたら、また雨が強くなってきました。

納竿です。

さて、クルマの中で考えました。

マゴチは何を求めて河口に来たのか?

エサですね。

イワシもいたけど、やっぱりハゼでしょう。

そっちの方が捕りやすいはずです。

釣れなかったけど、ハゼはいるに違いない。

そう結論づけました。

ねらいのサカナは釣れなかったけど、次への期待がもてる1日になりました。

ハゼ用のDR買おうかな。

 

 

読書感想「はい。作り笑顔ですが、これでも精一杯仕事しています。」

筆者は、日本の働き方について論じることが多い方です。

労働者の立場からの批判が中心です。

今回も、その流れの中の1冊となります。

本書の内容を一言でいえば、どうなるか?

感情労働をやめよう」です。

感情労働

聞いたことのない言葉でしたが、ちゃんとして学者が定義している用語だとか。

では、感情労働とは何でしょう?

相手を特定の感情に誘導するために、自分の素の感情を抑制して管理しなければならない労働形態のことです。

要するに、本心隠して愛想よく仕事をするということです。

そんなの販売なんかみんなそうなんじゃないの?

確かに、商店の売り子さんはみんな笑顔で愛想がいいですね。

ここ10年くらい、無愛想な人を見たことがありません。

私の若い頃、20代の頃は普通にいましたけど。

その極北が国鉄のみなさんです。

JRじゃありません、国鉄です。

駅員も車掌も愛想なかったなあ。

それが普通だと思ってましたけど。

変わったのはJRになってからです。

あと、たばこ屋のおばちゃんやおばあさんもそんなに愛想はよくなかったですよ。

大きい札を出すと、露骨に嫌がったし。

とまあ、営業努力もあって、現代の愛想のいい店員ができてきたように思います。

客として利用している際は、笑顔か作り笑顔かを見分けることはできません。

しかし、まあ、大概は作りだろうなあと思います。

働いたことのある人は、みんなそう感じるでしょう。

ウソでもいいのか?

そう訊かれたら、ウンと即答できる人は少ないでしょうが、仏頂面よりも作り笑顔の方がいいことに気づくと思います。

そういうことで、作り笑顔が日本中に普及したのでしょう。

この作り笑顔を作ることは労働の1種で、しかも相当に疲労させるものだ。

そう筆者は述べるのです。

そして、客や取引先だけでなく、上司に対しても感情労働をしている、というか要求される。

なので、販売などの業種だけでなく、労働者全般に感情労働は広がっていて、日本中を疲労させている。

と、こういう警鐘を鳴らしているのです。

確かになあと思います。

自分の仕事でも「感情労働」をしていると思いますし、別の業種を体験したことを思い出すと、筆者の指摘に同意する気持ちが強くなります。

一時期、社外研修というのが流行った時期がありました。

それで、三越さんで販売の研修をしたことがあります。

販売員は何時間か働いた後、15分間だったかなあ、休憩所で休憩をします。

この部屋は当然客が入れないところです。

同じ売り場の人は、時間をずらして休憩するので、一人で休みます。

初めて、休憩所に行ったら、別の売り場のおばさんが椅子にもたれかかるようにして寝ていました。

もう全身から疲労感が立ち昇っています。

売り場とその姿のギャップにショックを受けました。

三越で明るい笑顔じゃない販売員なんていません。

この方だって担当場所ではそうに違いないんです。

ですが、休憩所に入ったとたん、スイッチが変わってこうなるんでしょう。

感情労働で擦り切れたとしか、言いようがありません。

私は数週間でこの研修場所を去りましたが、この後、休憩所を利用することはありませんでした。

この姿を見るのが嫌になったからです。

翻って、自分も職場ではそうだなあと思います。

最近は、上司よりも部下に気を遣います。

まあ、ゴマすってもすぐに退職するからというのもありますけど、ハラスメント関係で部下の気持ちを悪化させないようにしているんですね。

ハラスメント系は誤解を解くのもたいへんなので、関わりたくないというのがホントのところなんです。

まあ、どこで働いても感情労働はついてくるという意見は分かりますし、それが想像以上に人を疲労させるというのも分かります。

私は、昔のたばこ屋さんのようにレジの人も座って仕事したらいいと思いますけどね。

通販好きだからということもありますけど、電話するくらいならネットで選択肢をぽちぽちしながら申込とかしている方が気楽ですし。

あの国鉄の対応だって、まあぶっきらぼうで面倒くさそうでしたけど、切符売ってくれないなんてことはなかったので、不便ではなかったですから。

日本もそういう頃にもどらないかなあと思います。

不満はあったと思いますけど、今ほど疲れ切っていなかったように思いますので。

笑顔は見るのは気分がいいですが、内面に反した笑顔を作るのは、疲労が蓄積されます。

もっと気楽にならないかなあ。

もしかすると、今はより社会が成熟する過程の一時期なのかもしれません。

そのうち、あんな頃もあったねになるといいと思います。

感情労働が発展すると「お客様は神様です」的なクレーマーに発展するのでしょう。

これも、土下座強要のような対応できないものは対応しなくていいと思います。

SNSで悪評などをバズさせるも別に見なけりゃいいわけで。

適度にスルーする世の中になったらなあと思います。

本気で困ってるんだったら司法とか第三者機関が入ればいいですし。

お互い様の気持ちで乗り切れるようにならないかなあ。

そんな気持ちで本書を読み終えました。

世の中から変な疲れを取るために、こういう指摘をする人は必要だなあ。

つくづくそう感じました。

 

 

終戦の日と「一つの花」の主題(ネタバレ)

もう8月17日になってしまい、終戦の日から2日経ちました。

なのに終戦を取り上げるのは、童話「一つの花」を読んだからです。

教科書に載っている童話です。

以前その虚構性の程度について述べましたが、今回は別の点から話したいと思います。

「一つの花」の主題についてです。

さて、この話は、終戦前後を舞台としています。

この作品は、平和の大切さを表現した童話という評価がありますが、少々違和感を感じていました。

「一つの花」のあらすじはこうです。

太平洋戦争末期、父、母、ゆみ子の三人家族は慎ましく暮らしていましたが、戦況の悪化から食糧不足となりました。

ゆみ子には「一つだけちょうだい」という口癖がありました。

こういえば食べ物をもらえたので身に付いたのです。

こんなゆみ子を父母は不憫に思い、将来を心配するのでした。

ついに父に召集令状が来て、出征することになりました。

旅立ちのホームでゆみ子は「ひとつだけ」と食べ物を要求します。

少しばかりの食べ物は、駅までの道中ゆみ子が食べてしまい、もうありません。

どうしようもなくなった父は、ホームの端に咲いていた一輪のコスモスをゆみ子に手渡します。

花をもらったことで落ち着いたゆみ子を別れ、父は旅立ちます。

ゆみ子の手にある一つの花を見つめながら。

まあ、こんな感じの話です。

先に述べましたように、平和の大切さとか親子の愛情とかが表現された作品ということで、高評価を得ている童話です。

ごりごりの平和教育推進派からは、花を投げ捨てさせ食べ物を要求する娘を描く方が、より一層戦争に非人間性を表すことができたのに、という批判もあります。

後は、まあ私が前に書いた虚構性についての批判、最初に覚えた言葉が「一つだけちょうだい」は不自然だろうとか、駅に着くまでにおにぎりを全部食べたのだからホームでの「一つだけ」はわがままだろうとか、そんなのもあります。

二つ目はともかく最初の批判は、平和の大切さを表すための作品であるといういわば主題優先主義から生じる主張でしょう。

とはいえ、童話は説話や訓話ではないのですから、作品は主題の道具ではありません。

主題に表現を合わせているわけではないのです。

童話は何よりも、童話そのものを味わわないと、と私は思います。

そういっておきながら、ここから自分の感想を話すのですが、全面的に作品を肯定しているわけではないので、お前も同じ穴の狢だろう、といわれるかもしれません。

それでも、ちょっと話したいのです。

このお話は、親が子の幸せを思う気持ちを表した作品だと思います。

平和主義というのは、そういう要素があることはあるのですが、中心ではないでしょう。

どういうことかというと、この作品における戦争は、舞台装置、つまり設定だからです。

極限の状況であれば、戦争でなくとも構わないのではないか。

そう思えるのです。

江戸時代だったら飢餓とか、中世ヨーロッパだったら伝染病とか、あるいは自然災害でもいい、要するに人間性が失われそうな舞台が設定されれば、このお話は成立します。

そんな悲惨な状況でも、花を喜ぶ気持ちを失わないでほしい、そういうことが表現できればいいのではないかと。

こう感じました。

この作品における重要な設定である食糧危機に関しては、総力戦で極限まで国力を戦力に振った結果起きたことで、あらゆる戦争でこのような状況が起きるわけではありません。

日本という資源に乏しい国が、近隣に友好国も貿易できる国もない状況で、戦争を継続したことにより起きた状況です。

確かにあの戦争により起きたことではありますが、どの戦争にも当てはまるものではないでしょう。

また、作品中に父母が戦争を憎む表現はありません。

嘆く場面はありますが、時代の状況として受け入れているようにも読み取れます。

つまり、そういう状況における庶民に生じた不幸を舞台装置としているのですね。

同じように庶民の不幸を描いたものに「火垂るの墓」があります。

この世界の片隅に」もそうでしょう。

これらの作品に日本の庶民は共感しますが、中国・韓国の方々は批判的なのはご存じの通りです。

それらの批判を全面的に受け入れるのも違うと思いますが、大きな枠組みでの戦争を表現していないといわれれば、その部分はその通りです。

戦争を論じている作品ではないのですから、ある意味当然ではあります。

さて、つまり何をいいたいかというと、「一つの花」を戦争反対・平和主義という視点からのみ解釈するのは難しいんじゃないか、ということです。

舞台がそうですからそういう要素は強いのですが、中心は親の愛情でしょう。

そう思います。

さて、終戦の日が過ぎましたが、自分の子供の頃に比べると終戦とか戦後とかの扱いが軽くなっているように感じます。

子供の頃は、まだ戦争体験者が現役で、社会の中心となっていたからなのかもしれません。

平和主義は、もちろん時代を超越して重視すべきことです。

しかし、太平洋戦争という強烈な経験が、それに関わるあらゆるものの解釈に強い影響を与えていたのかもしれません。

「一つの花」の解釈や評価もそうだったのかもしれない。

そんな風に思いました。

一つの物語の解釈とは別に、戦争を避け平和を愛することはとても大切だと思うのですが。