筆者は、日本の働き方について論じることが多い方です。
労働者の立場からの批判が中心です。
今回も、その流れの中の1冊となります。
本書の内容を一言でいえば、どうなるか?
「感情労働をやめよう」です。
感情労働。
聞いたことのない言葉でしたが、ちゃんとして学者が定義している用語だとか。
では、感情労働とは何でしょう?
相手を特定の感情に誘導するために、自分の素の感情を抑制して管理しなければならない労働形態のことです。
要するに、本心隠して愛想よく仕事をするということです。
そんなの販売なんかみんなそうなんじゃないの?
確かに、商店の売り子さんはみんな笑顔で愛想がいいですね。
ここ10年くらい、無愛想な人を見たことがありません。
私の若い頃、20代の頃は普通にいましたけど。
その極北が国鉄のみなさんです。
JRじゃありません、国鉄です。
駅員も車掌も愛想なかったなあ。
それが普通だと思ってましたけど。
変わったのはJRになってからです。
あと、たばこ屋のおばちゃんやおばあさんもそんなに愛想はよくなかったですよ。
大きい札を出すと、露骨に嫌がったし。
とまあ、営業努力もあって、現代の愛想のいい店員ができてきたように思います。
客として利用している際は、笑顔か作り笑顔かを見分けることはできません。
しかし、まあ、大概は作りだろうなあと思います。
働いたことのある人は、みんなそう感じるでしょう。
ウソでもいいのか?
そう訊かれたら、ウンと即答できる人は少ないでしょうが、仏頂面よりも作り笑顔の方がいいことに気づくと思います。
そういうことで、作り笑顔が日本中に普及したのでしょう。
この作り笑顔を作ることは労働の1種で、しかも相当に疲労させるものだ。
そう筆者は述べるのです。
そして、客や取引先だけでなく、上司に対しても感情労働をしている、というか要求される。
なので、販売などの業種だけでなく、労働者全般に感情労働は広がっていて、日本中を疲労させている。
と、こういう警鐘を鳴らしているのです。
確かになあと思います。
自分の仕事でも「感情労働」をしていると思いますし、別の業種を体験したことを思い出すと、筆者の指摘に同意する気持ちが強くなります。
一時期、社外研修というのが流行った時期がありました。
それで、三越さんで販売の研修をしたことがあります。
販売員は何時間か働いた後、15分間だったかなあ、休憩所で休憩をします。
この部屋は当然客が入れないところです。
同じ売り場の人は、時間をずらして休憩するので、一人で休みます。
初めて、休憩所に行ったら、別の売り場のおばさんが椅子にもたれかかるようにして寝ていました。
もう全身から疲労感が立ち昇っています。
売り場とその姿のギャップにショックを受けました。
三越で明るい笑顔じゃない販売員なんていません。
この方だって担当場所ではそうに違いないんです。
ですが、休憩所に入ったとたん、スイッチが変わってこうなるんでしょう。
感情労働で擦り切れたとしか、言いようがありません。
私は数週間でこの研修場所を去りましたが、この後、休憩所を利用することはありませんでした。
この姿を見るのが嫌になったからです。
翻って、自分も職場ではそうだなあと思います。
最近は、上司よりも部下に気を遣います。
まあ、ゴマすってもすぐに退職するからというのもありますけど、ハラスメント関係で部下の気持ちを悪化させないようにしているんですね。
ハラスメント系は誤解を解くのもたいへんなので、関わりたくないというのがホントのところなんです。
まあ、どこで働いても感情労働はついてくるという意見は分かりますし、それが想像以上に人を疲労させるというのも分かります。
私は、昔のたばこ屋さんのようにレジの人も座って仕事したらいいと思いますけどね。
通販好きだからということもありますけど、電話するくらいならネットで選択肢をぽちぽちしながら申込とかしている方が気楽ですし。
あの国鉄の対応だって、まあぶっきらぼうで面倒くさそうでしたけど、切符売ってくれないなんてことはなかったので、不便ではなかったですから。
日本もそういう頃にもどらないかなあと思います。
不満はあったと思いますけど、今ほど疲れ切っていなかったように思いますので。
笑顔は見るのは気分がいいですが、内面に反した笑顔を作るのは、疲労が蓄積されます。
もっと気楽にならないかなあ。
もしかすると、今はより社会が成熟する過程の一時期なのかもしれません。
そのうち、あんな頃もあったねになるといいと思います。
感情労働が発展すると「お客様は神様です」的なクレーマーに発展するのでしょう。
これも、土下座強要のような対応できないものは対応しなくていいと思います。
SNSで悪評などをバズさせるも別に見なけりゃいいわけで。
適度にスルーする世の中になったらなあと思います。
本気で困ってるんだったら司法とか第三者機関が入ればいいですし。
お互い様の気持ちで乗り切れるようにならないかなあ。
そんな気持ちで本書を読み終えました。
世の中から変な疲れを取るために、こういう指摘をする人は必要だなあ。
つくづくそう感じました。