甲子園で仙台育英が優勝しました。
宮城県民としてはうれしい限りです。
東北というか宮城は甲子園で優勝できないと思っていましたから。
しかし、高校球児の減少、野球人気が低下してきたところで優勝。
そういうものかなと思いました。
さて、80年代に青春を過ごしたものとして、仙台育英のイメージはやはりその頃のものになります。
ちょっと思い出を語らせてください。
昔は特別進学コースもなく、ただの私立でした。
宮城は別学の高校が普通だった頃です。
進学校の滑り止めは東北学院、普通の高校の滑り止めは仙台育英など。
そんな感じでした。
高校は宮城球場、ネーミングライツで名前今どうなってんでしたっけ、楽天生命パーク宮城か、の近くにあります。
で、この仙石線が通学電車なんですけど、育英生はガラがあまりよくなく(昔の話ですよ)、まあ見た目だけで心はきれいなのかもしれませんけど、近づきにくい存在でした。
部活で対戦して話すといいやつ多かったなんて聞いてましたけど。
あと、就職してから仙石線沿線に住んでいたことあるんですが、育英というか秀光学園(育英の中等部または中高一貫校の名称です。運営母体は同じ)かなあ、多賀城の方を校舎にしていた時の仙石線多賀城駅もすごかったなあ。
遠目ですぐ育英生だって分かりましたもの。
何で分かったかは想像にお任せします。
さて、宮城球場でチケット売りのバイトをしていたことがありまして、休憩時に試合を見てたりしてたんですが、仙台市民に育英は人気がありませんでした。
強いんですよ、昔から。
でも、公立と当たったら、応援席に人数は雲泥の差。
育英のスタンドは、ベンチに入れない野球部員が一生懸命応援していたというイメージです。
準決勝、決勝になるとさすがに学校総出で応援に来てましたけど。
それで、仙台市民は露骨でして仙台の公立校と育英が当たると、もう公立校の応援一色で、ヤジが飛びまくってましたね。
特に中高年のおじさんから。
でも、結局は育英が勝つんですけど。
80年代の育英はそんな感じです。
育英の試合で思い出に残っているのは、大越投手がいた時代、甲子園の決勝戦です。
宮城の高校が決勝まで進むのはまれでした。
その頃、卒業旅行だか、就職1年目旅行だか忘れましたが、大学時代の友人と佐渡まで旅行して、帰りにラーメン食べようと喜多方によったのです。
その日が、その試合の日でした。
喫茶店、だったと思うのですが、でねばって延長戦まで見てました。
帝京はとんねるずの貴さんが応援に来ていたなあ。
大越投手投げたり打ったり走ったりして、一人大活躍でした。
勝たせたかったなあ。
でも、延長で負けたんですね。
つくづく東北は勝てないんだなあと思ったのです。
こんなすごい選手がいても勝てないのだから。
大越投手、今、山口県で野球を指導しているそうです。
今年の決勝は、下関国際が相手。
不思議な縁を感じました。
さて、昨日からの宮城は、仙台育英の優勝で持ちきりです。
宮城の地方紙、河北新報のはしゃぎぷりったらないです。
1面と最終面をつなげて、仙台育英優勝という紙面を作りました。
新聞の外側全部育英優勝ってことです。
そのためTV欄は、中に移動してました。
うれしいんだなあ。
宮城の中で仙台育英の株も上がることでしょう。
いいことだと思います。
私立の強豪校というのも少子化のせいもあって、少なくなってきました。
大魔神やダルビッシュが在籍した東北高校は、もうあまり話題になりません。
そんな中、昔からのイメージを持ち続けている仙台育英に敬服します。
駅伝でアフリカからの留学生を使うんじゃないとかいろいろ言われてましたけど、育英カラーを持ち続けているのは、うれしい限りです。
東北の高校で初めて甲子園で優勝したのは仙台育英。
この栄光が忘れられることはないと思います。
仙台育英、優勝ほんとうにおめでとう。