家族の入院が長くなりました。
命に別状があるわけではないので,親戚などには知らせませんでした。
しかしどこから聞きつけたのか,まあ家族の誰かがしゃべってるんですけど,お見舞いが届くようになりました。
コロナ対策で面会禁止なので,家に届きます。
お返しがどうとかという話になり,この際,関係する親戚をはっきりさせることにしました。
1 親戚を洗い出す
田舎でも,親戚って改めて考えるとよく分からないんですね。
特に,我が家は親があまり語りたがらなかったので。
あと私が興味がなかったので。
しかし,今後知らないでおくと不都合がありそうなので確かめることにしました。
さて,まとめる項目をどうするか。
考えた末,それぞれの代の兄弟を基準に整理することにしました。
1 祖父の兄弟の家
まずは,祖父です。
もうとっくに故人です。
祖父の兄弟の家を確かめます。
祖父の実家は,さすがに知っているのですが。
まあ,祖父の兄弟でご存命の方は少ないとは思います。
父に確認したところ2軒だけでした。
それと祖父の従兄弟の家があるそうで,これが2軒です。
2 祖母の兄弟の家
次に祖母の兄弟の家です。
ここ,分かりにくいんですね。
あまり行き来してないですし。
こちらも兄弟で存命の方はいないでしょう。
その子や孫,もっと下もかな,そういう方々の家になります。
確認したところ祖母の実家の1軒だけで,あとはつき合いがなくなったとのことでした。
2世代上の姻族ですから,そうなったのもなんとなく分かります。
3 父の兄弟の家
父は長男です。
もう父よりも上の方は亡くなっています。
ここは分かりやすいですね。
3軒です。
4 母の兄弟の家
母は兄弟が多いので,ちょっと分かりにくいです。
でも,母よりも上の方はもう鬼籍です。
全部で5軒でした。
5 私の兄弟
これは2軒だけです。
これに妻の兄弟の2軒が加わります。
6 その他
その他,親戚ではないんですが地域で親しくしている家が数軒あります。
まあ遠くの親戚より近くのなんとやらですね。
2 最後に
いやいや数えてみて,自分から上の世代になると難しくなりますね。
明治のころには,親戚が家を継いだりと今ほど分かりやすくないことも理由の一つみたいです。
兄弟のように暮らしていた従兄弟とかもあったりするようです。
こうして考えると,小さい頃の私に話さなかった理由も分かります。
説明が面倒くさかったんですね。
たぶん分からないと思ったんでしょう。
まあ,父の代からはかなり分かりやすくなりました。
これには医療の発展も寄与しているように思います。
明治のころって,若くして亡くなる方がけっこういたみたいです。
さてさて,振り返ってみて,自分の子どもには分かりやすく伝えておくようにしようと思いました。
でも,形式的だよなあ。
普段行き来しているのは,ほんの数軒なんですけどね。