ギスカブログ

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学習性無力感に思うこと

心理学に学習性無力感という概念・用語があります。

この用語の意味は、人生に疲れている人すべてに当てはまると思います。

どういうことでしょう。

少し説明をします。

学習性無力感は、ちょっと聞いた感じでは「勉強が分からない状態」というような意味にもとれます。

しかし、そういう意味ではありません。

これは無力感を学習した状態のことです。

元は、オペラント条件付けのような実験から生まれました。

オペラント条件付けとは、レバー押すとエサがでる仕組みを動物に与えると、レバーを押すことを学習するということです。

このように報酬などプラスの結果を与えた実験が有名ですが、電気ショックなどの罰を与える実験でも同様に学習は進みます。

ある時、セリグマンという研究者がこんな実験をしました。

何をしても罰を逃れられない状態に犬を置きます。

犬は、初めはレバーを押したりなど罰を逃れるように行動をしますが、どうやっても逃れられないと分かると、何もしなくなります。

その後、罰を逃れる仕掛けに犬を移しても、やっぱり何もしないままだったとか。

そして、犬はうつになったようにも見えたそうです。

これが学習性無力感を獲得した状態です。

何をやっても成果がでない。

何をしても徒労でしかない。

そういう環境に置かれると、人は何にも挑戦しなくなる。

そして、うつになる可能性が高まる。

こういうことです。

これって、人間社会でも本当によくあることなんではないでしょうか。

人間、人生で一度くらいはこういう状態に陥ってしまう。

そういうことって、誰にでもあると思います。

実際、私なんぞは、現在の職場環境はそんな状態です。

ただし、定年が間近に迫っていることから、脱出口が一つ開いているので、うつにはならない。

こういう状態なんです。

仮に、今の労働環境であと10年勤めろ。

そういわれたら、うつになるか仕事やめるかのどっちかだと思うのです。

セリグマンの犬は脱出をあきらめたようですが、実際の社会でこうなった時、人間ってどうするんでしょうね。

助かった人は、自ら道を切り開いたわけではないと思います。

たまたま、ある幸運で道が開けた。

そういうことが案外多いのではないでしょうか。

自己啓発本に書いてあるようなことをして自力脱出をした。

そうであればすばらしいのですが、そんな人は多くないでしょう。

セリグマンの犬のように、脱出できるようになっても何もしなかったにちがいないのです。

ただ、誰かや何かが偶然助けてくれた。

こういうことが多いと思うのです。

さて、心理学の学習理論は、あまりにも原理的すぎて現実に応用するのが難しいものばかりです。

でも、この学習性無力感だけは、実際のやるせなさをうまく説明しています。

そして、人間が前向きになるには、可能性が残されていないといけないことを教えてくれます。

逆に、誰かの人間性を奪うには、その人の可能性をすべて奪えばよいということにもなります。

そういう非人間的なことは、あってはならないと思っています。

たとえどんなブラック労働であろうとも。