興味深い題名の本を見つけたので読んでみました。
岡田尊司さんの「生きるのが面倒くさい人」です。
副題にもありますが,回避性パーソナリティ障害を解説した本でした。
なかなか興味深い内容でした。
1 回避型愛着
回避的愛着は名前が似ていますが,回避性パーソナリティ障害とは異なるものです。
回避的愛着とは,何でしょう。
これは,親密な関係を求めず,人と気持ちを共有することに関心が乏しいタイプのことです。
つまり,人に関心がない。
一人でも大丈夫。
というか一人が快適。
そんなタイプです。
どうしてこのようなタイプが生じるのか。
生まれつき存在しているのか。
そういう疑問がわきます。
ちなみに,日常的にそういう傾向があるという範囲を超えた存在です。
つまり,性格とかそういう範囲で認識できるものではないということですね。
著者によれば,生得的な障害である「自閉症」に似ているけれども,これは生まれつきのものではないとのことです。
乳幼少期の愛着経験不足から生じるとのことでした。
つまりは,愛着障害というわけです。
どういう仕組みでこのようなタイプとなったのか。
人と関係を持とうとして関わっていったとします。
しかし,相手からマイナスの反応や攻撃が返ってきたり,あるいは無視されたりします。
そういうことが続くと,自分を守るために,相手への関わりをやめてしまいます。
このようにして形成されたのが回避型愛着です。
愛着にかかわる脳内物質にオキシトシンがあります。
オキシトシンを受け取るところをオキシトシン受容体というのだそうですが,これが十分に発育しないとのこと。
なので,仮にオキシトシンが豊富にあっても受け取ることができなくなり,十分な愛着が形成されない。
こうなるのだそうです。
しかし,人と関わることに関心がないのであれば,関わらないことでストレスを感じることもない。
そういう風にとらえることもできます。
2 回避性パーソナリティ障害
回避性パーソナリティ障害は,表面上は他人との関わりに消極的なので,回避型愛着と似ています。
しかし,回避性パーソナリティ障害は自己評価が低く,強い恥の感情を見られ,他人からの避難・拒否を受けないかと心配し,拒絶されない恐れがない場合にしか他人とかかわりがもてない,という特性をもちます。
つまり,極端に臆病であり,内面として人に関心がないわけではないのです。
なので,打ち解けると急速に親しくなるという特性もあります。
本質的には,傷つくことを極端に避けるタイプなのです。
そして,このことから容易に推察できますが,心理的な耐性が低いのです。
いわゆるレジリエンスが低い。
こんなことで,ということで心傷ついていく人たちです。
だから回避はしますが,心の奥底では人とかかわりたいと思っている。
潜在的にストレスをもつ人たちといってよいでしょう。
3 生きるのが面倒くさい
人とかかわりたいのにかかわれない。
こういうストレスの果てに,無気力となり生きるのが面倒くさくなる。
極端に話を進めるとこうなるのだそうです。
回避型愛着は他人の感情に鈍感なので,ある意味かかわらなければストレスを感じません。
回避性パーソナリティ障害は他人の感情に過敏なので,常にストレスを抱えてしまう。
では,どうしたらよいのか。
人と積極的にかかわらせよう。
デスクの垣根を取り払おう。
ソーシャル・スキル・トレーニングで話す練習をしよう。
こういう善意の施策は,回避性パーソナリティ障害の方には負担なだけのようです。
かえって悪化する。
最もよいのは,自分から変わろうとすること。
自らの意思,自らの決定で動くこと。
それをサポートすること。
このことだそうです。
心理的問題の改善は,いつだって自分から動くようにすることなんですね。
回避性愛着の人は改善する必要性を認めないでしょう。
無理に改善することもありません。
回避性パーソナリティ障害の方は改善する気持ちを持っているでしょう。
それが実現するよう彼らが望むことをサポートすることが大切だと思います。
その人の力を信じることですね。
でも,難しいのはタイプの見極めができるかどうかです。
外見上はとても似ているそうですから。
親しくない人に意思を打ち明けるとも思えないし。
実際の解決には,具体的で難しい問題があると思います。
|