1 不登校とひきこもり
不登校とひきこもりは、現代的な問題だといえます。
不登校数は年々増加の一途をたどっています。
それは、単なる学校への反発・批判が原因とはいえません。
筆者はソーシャル・ワーカーとして長くこの問題に関わってきた方です。
筆者の視点に沿いながら、この問題について考えていきます。
2 社会の変化と発達課題
筆者はひきこもりの背景として、社会の変化を挙げます。
社会の変化とは、競争の激化と孤立化です。
競争とは、勝ち組・負け組など社会的な地位獲得競争のことです。
まずは受験戦争のことを述べているのですが、受験だけではないでしょう。
競争に負けた自分に価値を感じなくなってしまう。
それがひきこもりの第一歩といいます。
次に孤立化です。
負け組となった者に連帯感は生じません。
一時は連れだっても、それは傷をなめ合う関係。
境遇が変われば、去って行く人たちです。
ゲーム機やインターネットの普及は、弧となった者の気を紛らわすことを可能としました。
このことにより弧の時間が長期化したのです。
そして、最も身近な人間である家族からも孤立する。
そういう状態が徐々に形成されたのです。
3 発達危機としてのひきこもり
筆者は、ひきこもりを発達危機としてとらえることを主張します。
医療的な問題としてとらえても解決できるとは限りません。
適応障害と診断され、精神安定の薬が処方される。
心理療法として、認知行動療法が採用され、ソーシャル・スキル・トレーニングが施される。
それぞれに有効な場合がありますが、それだけでは解決できない場合も多くあるといいます。
本人の主体性が損なわれ、行動に移れない状態である以上、本人が自分の課題に主体的に向き合おうことが大切となる。
この主体性の獲得を一つの目標として設定することが大切といいます。
しかし、この主体性の獲得はいうほど簡単ではありません。
そこには、様々な障害があるからです。
4 中核的障害と社会的支援
ひきこもりの中核的障害を筆者は5つ挙げます。
「他者との関係を主体的に紡ぐ障害」「社会参加への主体性の弱化」「身体機能の低下」「就労能力獲得の障害」「自己尊厳の低さと反社会的行動」です。
どれも深刻な障害です。
これらに対する社会的な支援には、次の三つのタイプがあるといいます。
「精神科医療を核とする介入」「保健所や自治体との支援機関による介入」「居場所支援を核とする介入」です。
ひきこもっている人の状態によって、適した支援が異なってくるのです。
いずれにしろ、本人や家族だけで自立が難しい以上、社会的なサポートシステムが必要であることはまちがいありません。
5 総評
いまだに、「甘え」であったり「発達障害」「精神障害」であったりというとらえが多いひきこもりですが、社会的支援が必要な発達危機としてとらえるという考えが興味深かったです。
不登校には「学校に行かなくともいい」というアドバイスをよく聞きますが、ひきこもりに対して「社会にでなくともいい」「ひきこもっていていい」というアドバイスはあまり聞きません。
どうしてでしょう。
両者に本質的な違いはなく、学齢期か否かぐらいの違いしかありません。
モラトリアムの一種としての不登校は許容するけれども、人生のほとんどをモラトリアムとして過ごすことは許されない。
こういうことなのかもしれません。
筆者のいう社会的な支援を制度として作り上げることも一つの見識と思います。
実際には、そのコストを社会がどれくらい耐えられるかという問題になりそうな気がしますけれども。
ひきこもり問題への提起という面から本書を価値があると思います。
ただですね。
本書の構成をもう少し整理されるとよかったと思います。
この問題に詳しくない私のようなものには、何度も読み返さないと理解できないところがけっこうありましたので。