昨日,震度6強の地震がありました。
揺れたし長かったですね。
でも11年前の地震,3.11の方じゃなくて3.13の余震の方が大きく縦に揺れて建物が壊れました。
昨日の地震は横揺れだったので,建物被害は少なかったと思います。
でも,地震って嫌ですね。
どうしても東日本大震災を思い出します。
今回は,その思い出をほんの少し話します。
1 帰り
大震災の日は金曜日でした。
朝の出勤時にガソリンが少なかったことに気づいていたのですが,帰りに入れればいいやと考えて出勤しました。
次の日休みだからゆっくり帰れると思ってたんですね。
ミスです。
これが後に引きます。
さて,震災当日の夜,おそらく8時ごろだったと思います。
同僚が帰宅するというので上司に呼ばれました。
裏道が分からないので先導しながら帰ってほしいとのこと。
おいおい,同僚は年上です。
何年住んでんだよと,心の中でつっこみます。
まあ,その同僚の家は,帰り道の途中です。
ガソリンが少ないので,回り道はしたくありませんでしたが,困っているようなので承知しました。
分かれ道まで先導し,先に行かせてからクルマを止めました。
というか消防団に止められました。
通行止めとのこと。
まあ仕方ありません。
ここでガソリンがあれば,大きく回り道をして帰ったのですが,ありません。
仕方ないので,路肩にクルマを止め,クルマの中で寝ました。
いや,ベンチコートを着てシートを倒して横になっただけです。
寒くて寝られませんでした。
ガソリンは惜しかったけれど,何度かエンジンをかけて暖まりました。
この時,勤め先に戻ればよかったのだと思います。
しかし,やっぱり明日は土曜日。
自宅で休みたかったのです。
2 朝
早くに目が覚めました。
とはいっても6時頃だったと思います。
朝のゆるい光で起こされたのです。
私は,クルマから出て,道なり歩きました。
道は海岸の方に向かっています。
そこで,なぜ昨夜止められたのかが分かりました。
止められた先は,道どころか町がなくなっていました。
道が家やその他の材木でふさがれています。
目に入る建物,人工物がすべてこなごなでした。
爆撃を受けた後みたいだ。
爆心地ってこんな感じなのかな。
そんなことが頭に浮かびました。
クルマは無理です。
クルマをおいて最低限の荷物をもって歩いて帰ることにしました。
自宅まで10数キロありましたけど。
国道のアスファルトが剥がされていました。
アスファルトってきれいに剥がれることあるんですね。
道の脇にあったであろう家は,基礎が残っているくらい。
庭木が残っていたりして,強さってなんだろうと考えさせられます。
二階が流されて,あっちこっちにありました。
もちろん道の真上にも。
だいたい,一階はこなごなに壊されてがれきになってしまったようです。
二階は水にふせたお椀のように流されたんですね。
スーパーとかコンビニとか,そんな建物は,骨組みが残って壁は抜かれていました。
電柱が倒れて電線に絡まって,それにゴミも絡まってとなっているところが多く,道をふさいでじゃまでした。
ほんと電線他をくぐり抜けて歩くのはたいへんでした。
道すがら朝会った人は,妙に明るかったですね。
どこ行くの?と聞かれ,ずいぶん遠い自宅町名をいうと頑張ってねとのこと。
普通なら驚くのでしょうけど,もう当たり前の感覚だったようです。
これオレの家,去年建てたばかり。
そう明るく言う方もいました。
返す言葉がありません。
ご愁傷様ですとか,そうですかとか,たいへんでしたねとかは言えませんね。
相手の心情が分からなすぎて。
3 今,思うと
震災から数日は,被災地の人はみんな語る価値のある体験をしたと思います。
私の体験も,いつかはまとめて話したいと思いますが,長くなるので今回はこのくらいにします。
今思うと,あの時,地震と津波があったことは分かってましたが,ほんとうに何が起きているかは把握できていなかったと思います。
津波そのものも見ていませんし。
ただ,今もあの経験から学んだ教訓があります。
あわてない。
これです。
昨日もあわてて何かすることはありませんでした。
災害の時は,冷静さに救われることが多いのです。