1 昭和のむかし
ここ数日温かい日が続きました。
それで、昼に外を歩いたら子供らが遊んでいるのが目に付きました。
おにごっこでしょうか。
楽しそうにおいかけている姿を見ると、昔を思い出します。
昔といってもわたしが感じる昔は、昭和40~50年代です。
車とテレビはありましたが、電話は固定でした。
レコードとカセットテープで音楽を聞いていました。
スポーツは野球とその他です。
そんな昔です。
ノスタルジックな気持ちになっていると、ふと「じゃりン子チエ」を思い出しました。
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昭和の大阪の下町のマンガです。
中高生の頃、愛読していました。
2 ほどほどの「不幸」
ウチは世界一不幸な少女や。
そうチエちゃんはいいますが、幸福とはいいませんがそれほど不幸でもありません。
まず、住む家があります。
それから家業もあります。
そこで自分で働かなければならないのは不幸ですが、生活の基盤があります。
ガチで家庭崩壊している家だったら、まずは借家でゴミ屋敷で父親は働いていないからその日の食べ物にもこと欠くでしょう。
チエちゃんは、祖父母も健在で支援されていますから、まあそれほどでもないのです。
確かにまったく働かない父親には困ったものですけれど。
当初、母親もいませんでした。
これは、父親に出て行けと言われて出て行ったということなんですけど、登場した母親の人柄を見ると、娘を置いて出て行くような人とも思えません。
整合的な解釈はできますが、おそらくは設定ぶれだと思います。
この家庭はよくできた家庭で、問題は父親だけなんですが、それでも家庭を破壊するような父親でもありませんし、十分普通の暮らしができる家です。
裕福ではないですけどね。
3 理想の父親
「じゃりン子チエ」は初期の1~7巻ぐらいの話が好きです。
中でも印象に残っているのは、チエちゃんの作文の話です。
家族を題材に作文を書くことになり、チエちゃんはコンクールで入賞します。
その作文の父親について書いたもの。
よく書いたなあと思ったら、チエちゃんいわくウソを書いたとのこと。
つまり、家業のホルモン屋を切り盛りする父親を描いたのです。
なぜこんなウソを書いたのか。
正直に書けば、恥ずかしい。
だから、自分の理想を書いた。
ということなのですが、普通の大人ならばそこに子供の心の屈折などを感じ取って、チエちゃんをかわいそうに思うでしょう。
しかし、チエちゃん本人が気にしているのは、事実ではないことを書いて賞を取ったこと。
自分の心とか、そういうことは問題にもしていないのでした。
チエちゃんは自分で不幸とはいっていますが、不幸なことを武器にして人の関心を集めようとかそういう気持ちはまったくないのです。
こういうカラッとしたところが、人情話は人情話なんですけど、しめっぽくならなくて好きでした。
チエちゃんは父親に働いてもらいたいとは思っていますが、性格が変わってほしいとは思っていないようです。
親とはいえ、他人の心に踏みこむようなことはしないのでした。
4 終わりに
このマンガ、平成以降に生まれた人はどう思って読むのでしょう。
わたしは同時代性があるので、共感しながら読めますが、そういう読み方はできないでしょうね。
わたしが戦前の小説を読むような感覚なのかもしれません。
つまり、細かな具体的知識を欠いたまま読むということです。
そうだとすると、このマンガのおもしろさは十分伝わらない感じがします。
それでも、おもしろいとなればこのマンガが普遍性をもっているということでしょう。
つまり名作です。
でも、同時代性にとらわれた読み方しかできないわたしには、そういう読み方ができないので、本作が時代を越えているかどうかはわかりません。
ちょっと残念ですが、ノスタルジーに浸ることも本作を読む楽しみなので、これはこれでよいと思っています。
次の休みにでも、読み返してみます。
何しろ長いし、途中でやめないと思うので、平日に読むのはやめておきましょう。