北京オリンピックが閉会しました。
前にも書いたように,熱狂とはほど遠い観戦をしていました。
そうではあっても,フィギアスケートの羽生選手の姿が印象に残りました。
今回は,引き際について話します。
1 スポーツ選手の引退
後進に道を譲る。
そういえば潔さが際立ちます。
しかし,やはり引退には寂しさが伴います。
カール・ルイスは,最後に参観したアトランタオリンピックでこういいました。
「最高のオリンピックだった。」
走り幅跳びで金メダルを獲得した後のインタビューです。
ウサイン・ボルト選手はリオデジャネイロオリンピック後に,自分は伝説になったといいました。
有終の美を飾れる競技人生は,幸せです。
北島康介選手や内村航平選手のように金メダルで終えられない方もいます。
羽生選手もこの系譜に入るのでしょうか。
あるいは,高橋尚子選手のようにオリンピックに出場がかなわなかった選手もいます。
引き際はそれぞれです。
羽生選手は現役を続行するとのことでした。
今後どうなっていくのでしょうか。
幸福な競技人生を祈念します。
2 三浦カズの生き方
スポーツ科学の進展のためでしょうか。
スポーツ選手の現役が長くなる傾向にあるようです。
その筆頭は,サッカーのキング・カズ選手でしょう。
もう50歳を超えています。
走ることが多いサッカーでこの選手寿命は普通ではありません。
来年度も選手として登録されたとのことでした。
三浦選手の場合は,明言はないのですが,ワールドカップに出場できなかったことが一因になっているように感じます。
心残りなのかもしれません。
しかし,需要と供給の関係で決まるのがプロ・スポーツ。
契約がある限り現役なのでしょう。
松井秀喜選手は,最後までオファーを待ちました。
オファーはありませんでした。
だから引退です。
こういうことなのだろうと思います。
3 M1の思い
漫才コンテストのM1は有名です。
設立の趣意として,売れてない実力者の発掘と共に,10年やって売れなかった者への引退勧告があるとのことでした。
しかし,最年長の錦鯉さんが優勝したことで,二つ目の趣意はあいまいになってきているとのこと。
スポーツと違って,明らかな衰えが見えないジャンルでは,引退の見極めが難しいのでしょう。
何を幸福と思うかは,本人次第。
そういう面ががることは確かです。
しかし,家族等保護しなければならない者を抱えている人は,そうはいっていられないでしょう。
結局,豊かな者に与えられた選択肢。
そうもいえるのだと思います。
人生の決断は自分だけでは決まらないこと多いです。
とはいえ,モラトリアムが長くなるということは,日本が豊かな傍証でもあるでしょう。
閑話休題。
体力の限界という明らかな尺度がない引退は難しい。
M1を創設した島田紳助さんは,ある種の優しさで目に見える形にしてくれたのでしょう。
その優しさをどう受け取るかは,それぞれの問題です。
4 定年への思い
私もあと数年で定年です。
これは外部から決められたもの。
自分で決断したものではありません。
しかし,そんなに望んだ仕事ではないとはいえ,しっかりと自分で区切りをつけたいと思っています。
これで終わり。
そう思えるようにしたいです。
誰にとっても引き際は他人事ではない。
北京オリンピックを見ながら,改めてそう思いました。
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