ギスカブログ

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時々「涼宮ハルヒの憂鬱」を読みたくなる

 大谷翔平選手に活躍には,驚かされますね。
 いわくコミックやアニメから出てきたような存在であると。
 メジャーリーグで,エースで4番的な存在になるなんて,確かに常識外です。
 このニュースを聞いてある小説を思い出しました。
 ライトノベルです。
 今回は,谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」について話します。

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1 テーマのあるライトノベル

 10年くらい前,ひょんなことからライトノベルという存在を知りました。
 私も中学生の頃は,朝日ソノラマ文庫をよく読んでいました。
 それで,こういう10代向けに小説に懐かしさを感じたのです。
 最初に読んだのが「涼宮ハルヒの憂鬱」でした。
 最初は気付かなかったのですが,けっこうな数のライトノベルを読んで分かったことがあります。
 「涼宮ハルヒの憂鬱」は,ライトノベルの異端です。
 どこが異端なのか。
 「涼宮ハルヒの憂鬱」には,テーマがあるのです。
 特別な人生に憧れる一般人の懊悩。
 これがテーマでしょう。
 テーマがあるのが異端?
 小説にはテーマがあるのが普通でしょ。
 ライトノベルには,テーマと呼べるほどの何かはあまりありません。
 ジャンプのマンガのテーマは,友情・努力・勝利だそうです。
 しかし,この場合はテーマという語を使っているものの,述べていることは要素です。
 マンガの要素として,友情・努力・勝利が入っている。
 こういう意味だと思います。
 そういう要素的な意味合いでは,ライトノベルにもテーマはあるでしょう。
 しかし,作品全体を使って表す価値・思想といった意味のテーマがあるものはごく少ない。
 それらは異端なのです。
 「涼宮ハルヒの憂鬱」には,それがある。
 そして,テーマがあることがこの作品を作品たらしめている。
 つまり不可欠ということです。
 異端ですね。

2 読者はテーマを必要としていたのか

 とはいえ「涼宮ハルヒの憂鬱」の読者は,このテーマを支持していたのか。
 そう考えると,それはちがうというしかありません。
 ハルヒの憂鬱に共感した読者は,あまりいなかった。
 そういっていいでしょう。
 この小説の一番の魅力は,登場人物のキャラクターです。
 とても魅力的なキャラクターに,読者が引きつけられたのです。
 それは,作品として不幸だったのか。
 そうともいえないと思います。
 キャラクターの魅力で人気がでる小説は確かにあるのです。
 「鬼平犯科帳」などは,その代表でしょう。
 長く続く小説には,このパターンが多い気がします。
 涼宮ハルヒシリーズの他の作品は,それほどテーマ性があるわけではありません。
 そういう人気が出たために連作になった。
 そう考えれば,悪いことではないように思います。

3 詰め込まれた独自のアイデア

 「涼宮ハルヒの憂鬱」には,独創的なアイデアがいくつもあります。
 情報生命体。
 時間平面。
 閉鎖空間。
 主要な登場人物にそれぞれ割り当てられているこれらのアイデアは,筆者渾身のものだったのではないでしょうか。
 そもそも,話の筋立てとして,この3つが必要不可欠なわけではありません。
 おそらく「涼宮ハルヒの憂鬱」を展開させるためだけだったら,閉鎖空間だけでこと足りたのではないでしょうか。
 ハイペリオンのように,惜しみなくアイデアを投入する。
 そんな小説にしたかったのかもしれません。
 まあ,このようにアイデア積み込まれたためにおもしろくなった面はあるのですが,起承転結はぼやけています。
 承の部分が長いのですね。
 初読の際は,構成どうなってるのと感じました。
 まあ,私の小説認識が古典的なのかもしれません。
 読者論的にいえば,レパートリーに多様性がないってところでしょうか。

4 最後に

 この小説はコンクール応募小説です。
 見事,大賞を受賞しました。
 受賞のために,できることをすべてした。
 そんな風に作られたのかもしれません。
 なので,ライトノベルとしてはオーバークオリティな気がします。
 工業製品の世界では,この言葉は褒め言葉という意味ばかりではありません。
 それでも,私はこの小説をそのテーマに惹かれて,時折読み返したくなります。
 決して,大谷翔平にはなれず,なれるはずもなかった自分のために。
 そんな自分に,この小説はどこまでも優しいのです。