1 マジンガーZとの出会い
マジンガーZの主題歌を歌っていた水木一郎さんがお亡くなりになったそうです。
ご冥福をお祈りいたします。
私は、マジンガーZが放映・連載されていた時に小学生で、脳天直撃で影響を受けた世代です。
何せ、初めて買ったコミックが「マジンガーZ」でしたから。
ただしこれはサンコミックのもので、ジャンプ連載とテレビマガジン連載が混じったものだったらしいのです。
当時はもちろんそんなことは知りませんでしたが。
コミックを購入したのは、テレビアニメを見ていたからであり、アニメから入った口です。
ただし、コミックは兜十蔵博士が甲児にマジンガーを引き渡す場面が描かれており、かなりのインパクトを受けました。
もちろんこの部分はジャンプ版です。
2 神にも悪魔にもなれる
なぜ兜十蔵博士はマジンガーZを造ったのか。
それは、孫への罪滅ぼしです。
罪とは何か。
甲児の父母を実験中の事故で死なせてしまったことが十蔵博士のいう罪です。
その償いとしてマジンガーZを与えました。
十蔵博士はいいます。
神にも悪魔にもなれると。
つまり、圧倒的な暴力を与えたのです。
1970年代の科学万能感や終末感などを背景に、このマッドサイエンティスト風の発言は説得力をもっていました。
しかし、孫に与えるものとして、どうなんでしょう。
しかも、神になるか悪魔になるかは孫の意志しだいというわけです。
マジンガーZは、正義の使者のように描かれましたが、それはこのロボットの本質ではありません。
自分の意志で何でもできる力。
これがマジンガーZだったのです。
幸せになる贈り物といえるでしょうか。
十蔵博士の倫理観は常人を越えています。
この部分は、マッドサイエンティスト的演出の力業で描ききってしまうのですが、勧善懲悪の話にならないかもしれないという含みを持たせています。
このころの永井豪には、デビルマンで顕著ですけれど、こういう哲学的な問いが含まれていて、しかも答えは示されず問いっぱなしになるということがありました。
甲児はマジンガーZに初搭乗した際に、操作がわからず暴走して街をかなり破壊してしまいます。
意志ではないにしろ、悪魔になる可能性を示しているのです。
その後、敵となる機械獣が現れ、これと戦うことを決意したことで、悪魔にはしないというのですが。
このようにマンガ版では、十蔵博士はドクターヘルの襲来に備えてマジンガーを準備したわけではありません。
あくまで罪滅ぼしです。
機械獣が現れず、使い道がわからなくなったマジンガーZがどうなるか。
少し考えてしまいます。
こういうところが、基本は子供向けの作品なんですけど考察すべき深みを読者に与えていたように思います。
3 ローレライの歌
マジンガーZは勧善懲悪の物語ですが、たまにそこからずれたエピソードが入ってきます。
「ローレライの歌」は、その典型で、名誉のために戦うという話です。
甲児の弟シローがアンドロイドのローレライに淡い恋心を持ちますが、ローレライはロボットドナウα1の頭脳部分。
ロボットを一体化して、マジンガーZに挑みます。
そして…。
という話なのですが、なぜこのような結末になったのか、この結末が避けられなかったのか子供心に考えたものです。
先の誕生篇と同じように、少し価値や意義を考えさせるところがあったためか、多くのエピソードは忘れてしまいましたが。この話は今でもよく覚えています。
3 Zのテーマ
マジンガーZの歌はOPが有名だと思うのですが、印象に残っているのは挿入歌の「Zのテーマ」の方です。
Zを称える内容の歌詞なのですがちょっとこれも考えるような歌詞です。
救世主のようにZを称えながらも、人の頭脳や人の心を加えなければ、力を発揮しないとなっています。
つまり、神にも悪魔にもなれるZの本質がそれとなく表されていて、ただ無敵な強さを表しているわけではありません。
そういうところに惹きつけられます。
それにしても、水木一郎さんの歌はうまいなあ。
子供の頃は気づかなかったけど、随所の工夫がすごい。
声の職人だなあと思います。
これからも聞き続けられる曲だと感じました。