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カウンセリングの専門性

 カウンセリングは,積極的に助ける活動じゃないと思います。
 今では懐かしい話ですが,80年代まで日本の農業についてこんな話がありました。
 補助金補助金を出してばかりじゃ農業は強くならない。
 ますます弱るばかりだ。
 農政とは,自立した産業としての農業を育てるために行うべきだ。
 産業を弱らせるばかりの施策は正しくない。
 はっきり覚えてないのですが,こんな感じでした。
 農政を語りたいんじゃありません。
 カウンセリングとクライアントもこんな感じじゃないかと思ったのです。
 つまりクライアントが自立するのを支援するのがカウンセリングだと。
 今回は,氏原寛さん著「心とは何か」の感想を話します。
 まだ,読了してないので,読んでる途中の感想ですが。

1 カウンセリング・マインド

 この本は氏原さんの最終講義を基にしています。
 最終講義は,だいたい辞める教官の職業半生を語ることが多いと思います。
 義理だったり恩だったりで何回か出席したのですが,概ねそんな感じでした。
 この本は,本になるくらいですからかなりしっかりした内容でした。
 正直にいえば,心理学というより哲学というか宗教学というかそんな感じで難しかったです。
 しかし,なかなか私の琴線にふれる部分もありました。
 その一つが,カウンセリング・マインドについての記述です。
 氏原さんは,この言葉がカウンセラーの専門性を損なっているといいます。
 さて,カウンセリング・マインドは,カウンセラーがクライアントに接する際の基本的態度です。
 多くはロジャーズの三原則に基づいています。
 つまり,受容・共感・純粋さです。
 このことの説明については,このブログで前に述べたので省きます。
 この三原則に基づく態度は,多くの場合,安易に容認されてきたと氏原さんはいいます。
 例えば,クライアントが「死にたい」あるいは「死にます」と言ったとしましょう。
 「あなたは死にたいんですね」と述べたとして,それが受容や共感といえるのか,とこういうわけです。
 そして自分自身の心に対しても偽りのない純真さを示した言葉や態度だったのかと。
 いやあ厳しいですね。
 しかし,この例は生命のかけがえさを引き合いに出して際だたせていますが,本来的にはすべての受容や共感に当てはまるでしょう。
 つまり,表面的な優しさがカウンセリング・マインドなのか,とこういっているわけです。
 繰り返しますが,厳しいなあ。
 日本では,一時期,必要性からカウンセラーを増やさなければならない時期があり,そのため簡易な講習会等で促成をしてきた面があったらしいです。
 そのため,深い思索なしにカウンセリング・マインドをもつという言説が普及した。
 そのことが専門性を損ねているのだ,とこういうことらしいです。
 う~ん。
 専門性というものは,議論するとこれはこれで難しくなるのですが,あまりハードルを上げると,必要な数の人材を確保できなくなるとは思うのですが。
 確かに,表面的な肯定だけするカウンセラーでは困るのですけど。

2 自立を支援するということ

 最初にカウンセリングは自立を支援するものといった話は,このことにつながるのです。
 つまり「死にたい」といったクライアントにどう接するか。
 いや,「死にたい」だけじゃなくて,社会的に道義的に認められない本音をもつクライアントにどう接すればよいのか。
 安易に認めることは,まあそそのかしたわけではないのですが「教唆」に近いのかなあとも思います。
 そして,倫理観を矯正するのはカウンセラーではない。
 自らよりより自立を支援するのがカウンセリングなんだろう。
 そう思いました。
 よりよい自分になるのを助けていく。
 そうするしかカウンセラーにはできない。
 最終的に意思を決めるのは,その人なんだから。
 う~ん。
 難しいですね。
 人の人生にどこまでかかわるのがいいのか。
 それを職業の専門性からどう語るのか。
 一人の人間としては自死は止めますけど,まあ私はカウンセラーではないのですけど,職業性からはどう語ればいいのか。
 こういうことを考え,一人の専門家として意見をもつ。
 これが氏原さんがいいたかった専門性なのかもしれません。

3 誰に向いた本か

 入門書的な分かりやすい本を中心に読んできた私にとって,この本はちょっと衝撃でした。
 その意味では,違った視点からカウンセリングについて考えたい人,カウンセリングについての考えを深めたい人に向いた本だと思います。
 初学者がこれから始めたら,厳しいでしょうね。