ギスカブログ

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【書評】科学的なビートたけし「言ってはいけない」

1 「残酷すぎる真実」とは

橘玲さんの「言ってはいけない~残酷すぎる真実~」です。

通して読んだ感想は、「ビートたけしだな」でした。

今の大御所となったビートたけしからは感じられない、初期のビートたけしの感じです。

昭和50年代に登場した当時のビートたけしは、それを言ったらおしまいよ、ということを公衆の面前で堂々と言うという芸風だったんです。

初期に毒ガスといわれた辛口は、そういうものだったんです。

つまり、みんなきれいごとをいってるが本当はこうじゃねえか、ということを得意げに話すというスタイル。

彼は、そういう意味では、けっして新しい内容や発見を言ってはいなかった。

たけしの言うことは、うすうすみんなが思っていたことです。

まだ建前と本音という二分法が力を持っていた時代に、「きたない」「なるべく出したくない」本音をあからさまにしていく。

そういうことをして支持を得ていたのです。

わかると思いますが、こういうことを支持するのは、社会的に恵まれていない人たちです。

ビートたけしはそういう人たちから喝采を浴びていた。

たけし自身も大学中退で、王道の路線からは外れかかっていた。

よくビートたけしの漫才でしゃべくりがどうのという解説がありますが、同時代の視聴者としてみれば、そんなのは洋七が若手芸人の常識にしてしまった後なので、そんなにインパクトはありませんでした。

そんなのは彼の本質じゃありません。

ビートたけしの個性は、みんな気づいているけどあまりいえないことを大きな声でいうところでした。

冠番組を多く持ち、当代随一となっていくことで、こういう面は見えなくなっていきます。

それは日陰者のひがみが消えていくようでした。

本書には、それと似たところ感じます。

ちがいは、科学的な裏付けをとっているところです。

2 知能と遺伝の話

人種というか、本質的には遺伝の問題でしょうけど、知能の話を橘さんは語っています。

勉強のできる親からは、勉強のできる子が生まれる可能性が高い。

こういうことは、みんなうすうす感じていることです。

遺伝は、多くの複雑な要素がからむので、単純に親の才能が子どもに引き継がれるというものではありません。

しかし、似たところが現れるのは、日常的に感じているところです。

このことにより、新しい階層が生じていると橘さんはいいます。

知能だけでなく、興味も関心もことなる階層は混じることがなくなる。

そして、別種の階層というか集団ができあがっていく。

実際にあり得ることでしょうし、すでにそうなっているかもしれません。

公立中学を卒業している人は、地域に住む雑多な種類の家庭から集められた集団ができあがっていたことを実感していると思います。

しかし、卒業して10数年経ったときに、交流しているのはどんな人たちとなのか。

交わらない人とはやはり交わらなくなっているのではないでしょうか。

生活する集団というのは、知能だけでは決まらないのでそんなに単純な話ではないと思いますが、あり得る話ではあります。

3 マイノリティ・リポートの世界

犯罪者と遺伝の話を読んだとき、映画「マイノリティ・リポート」を想起した方は多いでしょう。

要するに、犯罪を起こしそうな人を予め捕縛してしまう、という話です。

橘さんは、もっと穏便に犯罪を将来起こす可能性がある人には早期に改良プログラムや教育を受けさせるという話をしていました。

これも、日常的に感じていることです。

「決めつけるな!」というのは正論ですし、もちろん現代社会の正義なんですが、おそらく日常的に犯罪者に関わっている人、刑務官や警察官など、は口には出さないけれどそう思っているのではないでしょうか。

発達障害や境界知能の方が触法少年に多いことは、「ケーキが切れない非行少年たち」で主テーマになっていました。

かといってマイノリティ・リポートの世界が現実になるのは、問題が多いと思います。

社会運営の現実と難しさがあるといってしまえば、それまでなのでしょうけれども。

4 総評

さわやかな読後感にならない本と筆者はいいます。

しかし、それほどではありませんでした。

こういうことはあるだろう。

というのが正直な感想です。

ただ、気になったのはこういう研究をする学者を人権・人道の見地から批判する人がいるということです。

真理は、どんなものであれ追究して構わない。

それが学問の自由のはずです。

それをどう活かすかは、社会を構成する側の問題です。

真理の追究は、たとえ不愉快なものであっても行ってほしいと思いました。