「心理学対決!フロイトVSユング」という本を読みました。
いかにもなタイトルの本です。
それでも監修者は,山中康裕さん京都大学教育学部の教授を務めた方です。
内容は信用してもいいでしょう。
私は大学で心理学を学びましたが,実験的な手法の心理学でした。
臨床系に縁がなかったのです。
また,大学の先生の中には,講読でフロイトが出てくると
「この学者はフロイトを信じているのかな?」
とつぶやく感じでした。
その口調から,フロイトは非科学的という感じを受けました。
こういう経験が基礎になっているので,フロイト,ユング,アドラーなどはまともに勉強したことがなかったのです。
最近,臨床心理学に興味を持って,いろいろな本を読んでいますが,この辺りで基本的なことを知っていてもいいだろうという気持ちになってきました。
そこで,この本を読むことにしたのです。
それに実用書で定評のあるナツメ社の本ですから,どのページもカラーです。
読みやすかったですね。
フロイトとユングは,学説を巡っては袂を分かったとのことでした。
その大きな違いはリビドーの扱いだそうです。
リビドーは,心のエネルギーです。
フロイトはこれを性的なものと考えたのですが,ユングはその他の欲も含めたとのことです。
あまり大きな違いと考えられなかったのですが,最先端の学者には大きな違いだったのでしょう。
どうしてこのような違いがでたのかということを,この本では詳しく説明していました。
二人の生い立ちとか治療した患者の特徴とか,そういうことから違いが出たようです。
フロイトは性的な記憶や欲求を持つ患者を多く診たのでそう考えたのかもしれません。
ユングは性的ではない原因の患者を診たのかもしれません。
でも,心の病の原因として,なんとか共通化・一般化できなかったのでしょうか。
そんな印象を持ちました。
個人的には,フロイトが性欲に限定するのはどうなのかなあ,人間それだけなのかなあ,という印象を強く持ちました。
さて,とはいっても,ユングの方を信頼しているかというと,そうでもない部分がありました。
ユングの原型論です。
ユングは治療を進めていくと,共通の経験を持つはずもない患者が同じような話をすることに興味を持ちます。
そしてここから,人類共通の無意識があるのではないかと考えます。
それが,集合的無意識という考えです。
そして,神話なども研究していくのです。
これは,どうも納得いかない感じがしました。
ほんとうに,心の奥底にそんな共通土壌があるのでしょうか?
そもそも,患者はヨーロッパ文化にどっぷり浸かった人たちですし,しかも上流階級の人たちだったはずです。
ですから,文化的背景もある程度均質だったのではないかと思うのです。
思い切り文化が違う中国とかインドとかの患者を診ても共通性があったらそうかもしれないですけど。
というように,それぞれの学説にすっかり納得したという感じにはなりませんでした。
とはいえ,二人それぞれ臨床的事実,治療した事実から理論を考えていたので,ある種の真実はつかんでいたんじゃないかとも思うのです。
そして,カウンセリングの現場では,理屈がすべてでないことは分かります。
そうでなければ今でも参照されるはずもないでしょうから。
一つの基礎的教養として,この本を読んだのはよかったと思います。
とてもコンパクトに説明していて,初学者に優しいですしね。