1 はじめに
「12月16日。地球をアイスピックでつついたとしたら,ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかというくらいに冷え切った朝だった」
ある小説の冒頭です。
正確には,小説を映画化した部分の冒頭です。
小説では,日付が入っていません。
で,なんの小説かというと,もったいぶらずにいいます。
「涼宮ハルヒの消失」です。
このシリーズの中で,とても人気のある作品です。
確かにおもしろい。
でも1番ではありません。
私にとって不動の1番は1巻です。
それはさておき今日は,この作品について話します。
ネタバレになりますので,ご了承を。
2 主人公になりたいか否か
この話は,主人公が元の世界に帰るということが主な題材となっています。
つまり,課題解決が話の軸です。
なので,純粋にはこの課題が解決できれば万々歳で大団円なのですが,そこにちょっと違う風味がかけられています。
かけられたものは二つ。
その一つが,君は主人公になりたいかです。
この話の主人公は,ハルヒが持ち込むめんどうごとに巻き込まれるのが自分,と自己認識をしています。
つまり,決して主体的ではないと。
あくまで,被害者であると。
でも,この話ではそれを押し通すことができません。
課題を解決する中で,自分自身が主体的にめんどうごとに関わるようになりたいかどうかを問われます。
つまり主人公になりたいかという選択です。
おもしろいですね。
これって,青春時代の心境に合っているような気がします。
楽しいこと,ワクワクすることは好きなんだけど,望んでそうしているわけではない。
斜に構えた感じです。
楽しんでいることのいいわけがほしいのですね。
で,どうしたかは小説を読んでください。
さて,主人公はそれでいいんですが,実は同じ問いを投げ掛けられた登場人物がもう一人います。
長門有希です。
長門は,有能かつ無感情な記録者・報告者です。
決して主体的に行動することはありません。
そういう役割を割り振られているのです。
物語上,これは強固な設定です。
ですが,この話では自らの役割を捨てて事件を引き起こしてしまいます。
つまり,長門も主人公になる選択をしたわけです。
そんな人物も,主人公になりたかった。
こういう風味をかけることで,課題解決の話なんですが,若者の人生観みたいな話になってます。
そのことで物語の厚みが増しているわけです。
つまり,人間や人生の一面も描いていると。
謎解きだけだったら,こんなに支持はされなかったでしょう。
登場人物の内面を描くということは,キャラクター人気に支えられた連作小説としては,当然とるべき道だったのかもしれません。
おもしろい展開だけでは,連作になりませんからね。
3 長門を理解できたのか
それで,もう一つのこなが長門の内面的成長なんですが,この点についてはちょっと疑問に思っていることがあります。
こんな疑問です。
長門の内面を主人公は理解したと思い,それを読んだ読者も理解したと思っているのですが,ほんとうにそうなのか。
これです。
ヒューマノイド・インターフェイスの内面は,人間の共感性によって理解できるのか。
まあ,話の展開上それで問題なさそうなんですが,ほんとうに理解できたのか私は自信がありません。
知識も認識も相当高次元な存在を,そこから見たらずいぶんと低次元な存在に理解できるのか。
アリが人間に共感したとして,その共感が妥当なのか。
とまあこんな風に考えたら,なんか違うかもって思えてきました。
まあ,アリと人間とは違い,長門と私たちは姿や形は同じですからそれほどの乖離はないかもしれませんが。
長門の悩みやバグって,人間に分かるもんなんですかね。
分かった気になってるけど,違っているような気がします。
そして,分かるかどうかも永遠に分からない気がします。
4 最後に
タイムトラベルとかパラレルワールドとか世界の書き換えとか,そういうSFっぽい考えを正確に理解できているかも自信ないのですが,このお話はほんとうにおもしろかったです。
課題解決としては完結しているのですが,主人公たちの内面成長の旅はまだ続くって感じで話は終わります。
連作小説としては当然でしょう。
まだ連載が終了していないので,そちらの方が完結するのはまだ先になりそうです。
いつか完結してほしいなあ。
続きを書く気あるのかな。
心配,そして期待です。
新しいと思っていたこの話も,気付けば10数年前の小説でした。
自分もSF的加速度で年を取っているようです。