1 本作の概要
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陰陽師シリーズは、長編も2編ありその他形式の違う本もありで、通巻何巻目になるのかがわかりにくのです。
15巻目というのは通常の短編が連なる形式での本で15冊目ということです。
今回は、博雅の活躍が目立った巻となってます。
印象に残ったことを二つ書きます。
2 人間の情念と呪
陰陽師では、呪という概念がよく語られます。
晴明はこれについていつも語りたいのですが、博雅が止めます。
呪について考えると、何がなにやらわからなくなり、いい心持ちが消えてしまうというのが、その理由です。
わからないでもありません。
しかし、晴明のいう呪は、どうもそれほど難しいことではないようです。
どうやら認識のことらしい。
そして認識が人間をしばるということをいいたいらしい。
ということが何となく伝わります。
まあ、こんなことがわかっても陰陽道は使えないので、実用的ではないのですが。
さて、芦屋道満が呪をかけた女性がいました。
「いそざき」という短編です。
人間の認識と呪ということを考えさせられた短編でした。
夫を奪われた女が奪った女と夫を呪おうとしたのです。
その際に頼ったのが蘆屋道満。
晴明のライバルである陰陽師です。
道満は28日かけて鬼の面を掘れば願いはかなうとのみを渡します。
女は面を完成させ、二人を殺しました。
しかし、それによって鬼の面が顔からとれなくなったのです。
それをとってもらおうと晴明を頼ったのでした。
この話のキモは、道満は陰陽術を使っていなかったという点です。
道満が渡したのはただののみ。
つまりは、この呪は女の情念が生み出したものだったのです。
なので、面をとっても気持ちが変わっていない以上、何も解決はしないのでした。
呪は認識であるということを改めて思います。
3 才能とは
源博雅は笛の名手です。
博雅の笛を聞けば、盗賊も暗殺者も博雅に手を出すことはできなくなる。
感動のあまりそのような行為ができなくなるのです。
ちょって神がかり的な能力ですね。
博雅は、この才を誇ることがありません。
笛が吹きたいから吹く。
そんな態度です。
自慢することも謙遜することもありません。
自然の態度です。
そして、そのことが人の嫉妬を呼ぶ。
唐から伝わった秘曲がありました。
それを様々な方法で、それこそ呪術まで使い死者を呼び出して教わった音楽家がいました。
しかし、博雅はその秘曲を一度聴いただけで演奏できたのです。
彼我のあまりにも懸隔した才のちがい。
しかし、そのことに博雅は気づきもしません。
というかその価値に気づかないという方が適切でしょう。
音楽家のどうしようもない悔しさがそこにあります。
そして、このような情念があやかしを呼ぶのでした。
人と比べる人生に満足はない。
そういってしまえばそうなのですが、非才なわたしにはこの音楽家の気持ちがわかります。
4 総評
あやかしが現れた場で、晴明と博雅が活躍する。
そういう小説です。
マンネリではありますが、そのマンネリをもって読みたい。
そう思わせる力がこの小説にはあります。
そして、呪いというものを題材とはしているものの、そこに表されているのは人間の情念の怖さ、おろかさです。
人間の真実といってもよい。
だからこそ、この小説には魅力があるのでしょう。
非現実的な題材を扱いながら、現実的な人間の姿を描く。
陰陽師はそういう魅力をもった小説です。
そして、夢枕さんの独特の文体がこれを際立たせています。
ほんと、やめることなく続いていってほしいシリーズです。
何年経っても次巻を待ちたいと思います。