ギスカブログ

 読書しながらスモールライフ「ギスカジカ」のブログ

年末年始の行事と断捨離

1 はじめに

年末年始の行事って面倒ですね。

できればしたくないのが本音です。

子どもの頃の思い出だと、こういうのは年寄りがこだわっていたはずです。

しかし、子どもから見れば十分年寄りなわたしは、年々どうでもよくなっています。

そんなわたしの年末年始について話します。

2 神棚飾り

神道も仏教もよくわかりません。

わかりませんが、正月は仏壇を閉めて神棚を拝みます。

そのため、年末に神棚を掃除して、飾り付けを取り替えます。

これ、一つ一つの飾りに意味があると思うのですが、全然わからないので、もう形式的にしています。

年神様の絵を取り替えるのはいいでしょう。

なんにしろその年の神様なのですから。

天照大神の御札を納めるのもいいでしょう。

天つ神のトップですから。

それで宮城県南部から岩手県北部にかけてですね、つまり地元ですが、紙飾りを飾るのです。

網みたいに切った紙を伸ばし、そこに菱形の飾りや魚の飾りなどと付けるのです。

きれいといえばきれいなんですが、これが超めんどうくさい上に和紙なんで切れやすい。

写真があるといいのでしょうが、不敬な感じがしたので撮りませんでした。

とはいえ、神様なので慎重に飾ります。

付けるところも笹竹なんで、油断すると破れるんですね。

難しい。

これに午前中ぐらいかかります。

楽しめる方にはいいのでしょうが、不器用なわたしにはそんな気持ちはわかず。

しかしながら、繰り返しますが神様なので謹んで丁寧に丁寧に。

飾り終わって、ようやく安心。

それから、御幣束を水神、竈神、俵神、船神などなど用に作ります。

御幣束の一つで家の中を祓います。

祓った御幣束は、昔は海に流していたように思いますが、環境保全に厳しい昨今、どんと祭で燃やすか、それ用の収集に出します。

けがれの処理も現代的って感じです。

前にも話しましたが、地元の神主さんが震災後転居してしまったので、今は町内会で別の神社に頼んでこれらの飾りをいただいています。

前と微妙に紙のデザインが違っているような気もするのですが、背に腹は替えられません。

これ、一応わたしは長男で、つまりこういう風習をしてきた家にすんでいるのでやっていますが、たぶんそうじゃない家はやってないと思います。

しだいになくなっていくのでしょうね。

3 初詣

初詣は、その神主さん不在の地元神社に行きます。

まあ氏子というか町内会で誰かに頼んでいるのでしょう。

掃除はされていますし、壊れた鳥居も直っていました。

地元ですと元朝参りといって、朝日を拝むのがほんとなんですが、自分はいつも午後に行きます。

人混みが嫌なので。

八幡神社八雲神社がありまして、それぞれに参拝しました。

この辺りは、奥州藤原氏が滅んだ後に鎌倉幕府御家人の領地になったためか、八幡神社が多いのです。

八雲神社は後から勧請したのかなあ。

戦前・戦中派のみなさんは八雲神社天皇様と呼んでいたので、護国神社の代わりだったのかもしれません。

祀っているのは、姉じゃなくて弟ですけど。

この辺りのいわれもわかる方はもういなくなってしまいました。

家内安全を拝んで帰宅です。

4 年賀状

年賀状じまいって風潮がでるちょっと前から、年賀状をやめてました。

きっかけは震災で、年賀状って雰囲気でもなかったですし、出せば返すものですから相手に手間をかけさせます。

そんなこんなで負担が自分と相手の両方にかかるのでやめたのです。

ただやめた宣言をしないので、送ってくる方はいます。

それには、返事を出すようにしています。

申し訳ないですからね。

でも、この風習は廃れると思います。

退職と同時やめる人が多いですし、若い方はそもそもしません。

というか、年始の挨拶もいらないんじゃないかなあ。

親戚も、新年にはこなくなってきてますし。

交通が不便だった頃、つまりなかなか会えなかった頃の風習のような気がします。

わたしの兄弟・従兄弟はしませんから、わたしの代でなくなるような気がします。

年賀状は年始の挨拶の簡略版でした。

そもそもの年始の挨拶がなくなれば、簡略も何もないでしょう。

5 おわりに

行事を止める話ばかりになりました。

しかし、それでいいと思っています。

こういうものは、誰かが心理的な必要を感じているから維持されてきたのだと思うのです。

正月が特別だったのでしょう。

しかし、今はその特別感はありません。

なので、変わっていくのも当然という感じがします。

そこに文化が廃れるようなさみしさを感じてはいません。

これも震災を体験したからだと思います。

諸行無常が当然のことと身に染みていますので。