ギスカブログ

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「自分にいいところがある」と思ってないと人は生きられない

自己評価ってあります。

自分で自分の能力やパフォーマンスを評価することです。

最近では人事評価面談なんてものが取り入れられまして、すっかり形骸化してたりもするんですが、目標立てて自分で評価をしたりします。

まあ、自分の評価と上司の評価がずれていると困るので、数値目標で立ててくれなんていわれるんです。

しかし、例えばよりよいチームを作るなんて数値目標立てにくいわけで、なかなか実際と合ってなかったりします。

このように評価というものは、客観的で妥当なものが求められるものです。

ですが、ですね。

私は、こと自己評価に関しては甘くていいんじゃないかと思ってるのです。

なぜか。

そうじゃないと、やってられないからで、自暴自棄になってしまうからです。

1 「あの子には才能がある」(武田綾乃

ここから、ある短編小説を紹介します。

ネタバレになるので、ご注意を。

「響けユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のヒミツの話」の第3短編です。

簡単にあらすじをまとめるとこんな感じです。

主人公は大学受験のために吹奏楽部をやめた3年生。

彼女は第一志望に落ちて今の高校に通っている。

大学入学で取り返せる、この高校でトップならかえって有利だ。

そういう「すっぱいブドウの論理」で高校生活を過ごしてきた。

ところが、入学したら自分よりも勉強でも吹奏楽でも勝る同級生がいた。

彼女に対してコンプレックスがある。

自分は大学受験のために吹奏楽部をやめたが彼女は続けている。

そんな彼女に図書館で会った。

吹奏楽部をやめて申し訳ないというと、あなたの楽器は大勢でやるところだからあまり困っていないとなぐさめられる。

そこで、部をやめないでと止めてほしかった、つまり自分の価値を感じてほしかった自分の気持ちに気づく。

とまあ、予想より長くなってしまいましたが、こんな感じです。

2 客観的な世界に生きるのはつらい

要は、自分が考えている自分の価値ほど、他人は自分に価値を感じていないという話です。

これ、私よくわかるんですね。

自分もそういうことをしてしまったという黒歴史を持っていますし。

だからこそ、こういう場面に敏感になって、あの人もそんな感じなんだなあと感じる場面があります。

まあ、現実では社交辞令としても、もし相手がそういう返事、つまり自分の評価してくれる返事、を期待していることを感じたら、たいていの人は相手の期待通りの返事をするでしょう。

現実、そういう場面が多いです。

それが「大人」というものです。

まあ、相手に「大人」の対応を求めている人は「子ども」なんですけど。

でも、いつでも大人の対応ができるわけではなく、現実に襲われることもあります。

例えば、大学入試とか、恋愛とか、出世とか。

枠が決まっているものは、そうせざるを得ません。

そこで、打ちのめされるのですが、まあ打ちのめされるのは仕方がないでしょう。

そういう時は、ただなぐさめたり同情したりするのがいいのです。

どうせ解決しないのだし。

なのに、そういう場面では、得てして「だから言わんこっちゃない」とばかりに自分自身を知れ、みたいな苦言を呈する人がいます。

まあ、そんなに多くないですが、時折います。

やめときゃいいのに。

心底そう思います。

客観的な認識の世界で、人が幸せに生きられると思っているのでしょうか。

そうとうの自信家だと思います。

世界的に評価のある人はそれでもいいと思いますが、凡人に凡人と知り凡人らしく生きろというのは、まったく優しくありません。

こういう悟れ、みたいなことをいう人は、悟った世界でほんとうに生きたことがあるのでしょうか。

たぶんないでしょう。

観念的にそう思ってるだけです。

人って、いつだって夢を見ていたいのです。

こんな自分でも、いいことがある。

そう信じていたいのです。

というか信じているのです。

信じているからこそ、明日に向かって歩む力が湧いてくるのです。

能力も容姿も自分の認識に下駄を履かせるくらいでちょうどいいのです。

できるかもしれない、うまくいくかもしれない。

そう思うことが、どんなに精神的に楽なことか。

そういう認識が人生を明るくしてくれるのです。

正確でも希望のない人生は、嫌だと思いませんか。

人生こんなもんだっていうのは、負け惜しみでちょうどいいんです。