ギスカブログ

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【書評】「臨終の七不思議」

1 概要

現役の医師、志賀貢さんが臨終について経験を踏まえて書いた本です。

わたしたちは臨終に立ち会うことなどほとんどありません。

身内をなくしたといっても病室の中で、立ち会いに間に合うこともまれです。

お医者さんは、生死に関わる仕事だけあって、数多くの臨終に立ち会っています。

そこで、科学でわりきれない不思議を感じてきたのだとか。

印象に残ったこと3つを述べます。

2 前触れ

死に際して、前触れと呼ぶべき現象が起きるそうです。

その1つが、中治り。

患者の容態が一時的に回復するのだとか。

意識や記憶がはっきりすることが多いようです。

これは、はっきりした理由はわからないのですが、脳内物質によるものかもしれないとのこと。

理由はともかく、最後の会話や思いでづくりができるのかもしれません。

また、お迎え現象というものもあるそうです。

親族やもう亡くなった方がお見舞いに来ていると話すのだそうです。

どうやら患者には、それがはっきりと見えるらしいのです。

これもなぜ起きるのかは不明ですが、患者の心残りが薄まることは確かなようです。

3 死に場所

時代劇などで無法者が「俺は畳の上では死ねない」という場面があります。

よい死に方をしないという意味なのですが、逆にとれば多くの人が畳の上で死にたいと考えていることを示しています。

この場合の「畳」とは、実際の畳とというよりは、自宅といういみでしょう。

特に現代では、病院で亡くなることが多くなりました。

自宅では終末治療が難しいからです。

患者自身のことを考えれば、病院に居ることのよさは計り知れません。

しかし、患者は自宅に帰りたいというのです。

安心が理由なのでしょうか。

あるいは自分がいるべき場所にいたいという意思でしょうか。

この気持ちは、これからもずっと続いていくのだろうと思います。

4 死相

死にゆくとき、それは顔に表れるといいます。

死相です。

ほおがくぼみ、皮膚に張りがなく、鼻がとがってくる。

栄養状態の悪化によるようですが、このような顔の様子をヒポクラテス顔貌というのだそうです。

ヒポクラテスとは、古代ギリシア人で、医学の父と称される人物です。

そこにちなんで、名前がつけられているのだとか。

また、内臓の悪化により顔に影響が現れることも多いのだとか。

いずれにしても、死相は医学的変容の一種であることがわかります。

しかし、それがいわば科学的変化であったとしても、死を迎える人の顔という不思議さを感じざるえないのは、なぜなのでしょう。

死に対する畏怖がそこにあるように感じます。

5 総評

不思議さはいろいろありますが、筆者は医師らしくそれぞれに科学的な理由を示しています。

おそらくは、どの不思議も説明がつくものなのでしょう。

しかし、わたしはそこに死が与える崇高さのようなものを感じてしまいます。

そうして、気持ちを整理しながら死を迎え入れる。

そういうためにこれらの不思議さがあるように感じました。

こういったことは、説明がついて終わりではなく、納得して終わるものなのだと思います。

そうでなければ、こういった不思議さが現代に残っているわけがありませんから。