1 レジリエンスの定義
レジリエンスはラターによって提唱された概念です。
定義は「深刻な危険性にもかかわらず、適応的な機能を維持しようとする現象」とされています。
レジリエンスは困難な要因、因子を持つ子どもが健全に育った場合の説明として用いられました。
心理学用語なのです。
多くの心理学の用語と同じく、ある現象を説明するための構成概念です。
そして、論者によって定義が少しずつ変わっていることがレジリエンスにもあてはまります。
そういう厳密な概念ではないことは知った上でいいますが、今日こんなことがありました。
2 ある研修会で
とある研修会に出席したのです。
そこで、職場の雰囲気とかブラックな職場とかメンタルヘルスの話になったのです。
最近ではよくあることです。
求人がままならないので、今いる人材を十分に活用してほしい。
働きがいのある職場づくりをしてほしい。
こういう話です。
そこで、職場の組織としてのレジリエンスを高めてほしいという話が出ました。
ぽか~ん…。
と今どき誰も使わないような擬音が聞こえました。
そういう幻聴が出るくらい、何言ってんのこの人、感が強かったのです。
そもそも組織に使う言葉かね。
そして、それは高めるものかね。
そもそも高めるというくらい実態が判明しているのかね。
それまでの話もつまらない上に役に立たないものだったのですが、決定的な一言でした。
何でこんな人講師にしたかね。
ばかばかしさもここに極まった感じがしました。
3 人以外にレジリエンスを使った例
それで調べてみたのですが、人間以外にレジリエンスを使った例には、このようなものがありました。
「ナショナルレジリエンス」(国土強靱化政策大綱)
まあ、これはいいでしょう。
というのも、国土のレジリエンスを高めるためにこれこれの施策を行っていきますということだからです。
つまり、責任持って政府がレジリエンスを高めますということです。
レジリエンスの一つ一つが具体的です。
防潮堤であったり、交通網の整備であったり、エネルギー資源の確保であったりするわけです。
こういう使い方はいいんです。
少なくとも、自分が言うレジリエンスが何かを知っていて、自分で何かしようという気持ちを感じますから。
4 最後に
しかしですよ。
先の研修会での発言はこれとはまったくちがいます。
上部が予算も施策も、いわばほぼ何もしないで、「足りない足りないは工夫が足りない」ばかりの精神論で、組織のレジリエンスを高めましょう、と言っているわけです。
何なのでしょうか。
何を言っているのか気づいているのでしょうか。
それで、ちょっといいことを言ったような感じになっているのは、滑稽というか悲劇というかもう適切な言葉がみつかりません。
鯛は頭から腐る。
こんなことわざを思い出しました。