1 レジリエンス
最近気になる言葉があります。
「レジリエンス」です。
この言葉の定義は,このとおりです。
「深刻な危険性にもかかわらず,適応的な機能を維持しようとする現象」
レジリエンスが高いということを私なりにいうとこうなります。
ストレスだらけの状況でも,それに耐え乗り越えて行く力がある。
今回は,このことについて話します。
2 ガラスのハート
センチメンタル。
この言葉にどんなイメージをもちますか。
プラスのイメージでしょうか。
それともマイナスでしょうか。
私が若い頃の80年代はプラスのイメージが多かったと思います。
繊細で感受性が強い。
こういう印象が強かったのです。
人が気付けないようなことを感じ取れる。
ちょっと芸術的感性があるような感じだったのです。
そういう人とちがった個性がある感じにいいなあと感じたものでした。
3 センチメンタルはたくましくない
しかしながら,学校の英語でこんなことを学びました。
エリザベス朝の男性にとってセンチメンタルはよい意味ではなかった。
たくましさがないという意味にとらえられたからだ。
エッセイを訳すと,こんな主張が述べられていました。
おそらく高校生の頃だと思います。
ちょっと衝撃を受けました。
もちろん,センチメンタルな雰囲気にプラスのイメージを持っていたからです。
たくましさがないとか,がさつなだけじゃないのか。
そんな風にも思いました。
80年代ですから「男らしさ」のような概念は日常にありました。
だからでしょう。
「男はこうあるべき」みたいなのが強すぎた時代だったんじゃないのか。
そんな風に,時代の風潮みたいにも思ったのです。
しかし今思えば,私は身近にセンチメンタルな人がいなかっただけなのだと思います。
具体を知らないだけでした。
4 センチメンタルは自分に限る
その後,センチメンタルな人にけっこう出会いました。
そういう個人的な体験から導びかれたのは,こんな考えでした。
センチメンタルな人は「かまってちゃん」である。
誰かに助けてほしいのです。
繊細な自分をなぐさめてほしいのです。
「いつまで落ち込んでんねん」
そんなつっこみをしたくなる人なのです。
感性豊かな人とイコールではありませんでした。
もちろん豊かな人もいました。
でもそうでない人もいて,要するにこの二つは別々の特性だったのです。
まあ,経験から引き出した考えなのでサンプルがよくないだけかもしれません。
でも,多くの場合こんな感じでした。
そして,です。
センチメンタルな方をなぐさめる立場に回ると,これは大変でした。
いや,自分が元気なうちはいいのですよ。
何とか助けてあげたいと思いますし。
でも,励ましても励ましても変わらないとこっちも疲れてきます。
自分の元気が切れてくるのですね。
その人と距離をとればいいのですが,距離をとれる関係とは限らないのです。
結局,自分の活力がなくなっちゃうんですね。
センチメンタルになるのは自分に限る。
そんな斜め上な思いに到達しました。
いや,これはたちの悪い冗談です。
5 レジリエンスを高めたい
何にも動じない鉄の神経をもて。
こんなことをいいたいのではありません。
そうではなくて,感情豊かな人がいいと思うのです。
感傷的になることもあっていいでしょう。
でも,そこにとどまっていてはダメだと思うのです。
元気いっぱい笑顔の日もほしいのです。
レジリエンスが高い人って,いつも前向きな人じゃありません。
そうじゃなくて,嫌なことがあっても立ち向かえる人だと思うのです。
それこそが回復力なのだし。
震災の中で暮らしてきて,このレジリエンスが高いと思える人を多く見ることができました。
そして,人として魅力的なのはレジリエンスが高い人なんだと考えるようになりました。
そこで,です。
どうしたらレジリエンスを高められるのか。
こういう思いに至りました。
初老となり,もうああなりたいこうなりたいという気持ちは薄らいでいます。
人への憧れもほぼなくなってきました。
でも,レジリエンスは別なんですね。
レジリエンスの高い人になりたい!
と,現在でも本気で思います。
どうすればいいだろう。
そういう人に会うたび,そう思います。