1 釣りの物語
夢枕獏さんの時代小説です。
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題材は釣り。
夢枕獏さんといえば、伝奇小説や格闘小説などで有名です。
しかし、釣り人としても名をはせています。
小説やエッセイなどもありますし、釣りのテレビ番組等にも出演しています。
ほんとうに釣りが好きなんだなあ。
番組の夢枕獏さんを見ると、つくづくそう感じます。
さて、今回は江戸時代、将軍綱吉の頃が舞台です。
日本で初めての釣り指南書「何羨録」を執筆した津軽采女とその周辺の人々の物語でした。
釣りを軸にそれぞれの人生が語られていきます。
その様子に、どんどん引きこまれました。
2 生類憐れみの令
将軍綱吉といえば、生類憐れみの令です。
戌年生まれの将軍に子ができないことから、生き物を哀れむよう助言されたことから制定されたとか。
これはご存じの通り、天下の悪法でした。
咬んだ犬を切ったりしただけで、打ち首や遠島を申しつけられた人がいたのです。
生類憐れみの令とは、1つの法律ではありません。
何度も何度も出されたのでした。
その度に、規制される事柄が増えていきます。
とうとう、漁師以外は釣りができなくなりました。
釣りに人生の楽しみや慰みを見いだした人たちの落胆はどれほどか。
3 忠臣蔵
この津軽采女という人は、なかなかかわいそうな人生を送った人です。
まずは、妻を結婚1年ほどで亡くしました。
実家で長く療養していたことから、一緒に暮らしたのは3か月ほどです。
この妻の父、つまり義父が吉良上野介に当たります。
忠臣蔵の悪役ですね。
吉良上野介を本書では、物わかりのよい人物として描いています。
実際、吉良の領地では名君として評判だったそうですから、この人物像にむりはないでしょう。
浅野内匠頭の人物は掘り下げられていません。
かんしゃく持ちとだけあります。
常識的に考えて、刃傷沙汰が禁じられた殿中で人を殺そうとしたのですから、普通じゃないのはわかります。
幕府の裁定がけんか両成敗でなかったことも、浅野への同情を集めたのかもしれません。
これらのことから江戸庶民は賄賂好きの腹黒と吉良を決めつけ、おもしろおかしく事件の楽しみます。
この当たりは、読者に今のワイドショー番組を想起させようとしているのかもしれません。
つまり、吉良も津軽も悲劇の人と描いているのです。
4 道としての釣り
この物語は、芭蕉の弟子である其角と絵師の朝湖がキス釣りをしている場面から始まります。
そこで、朝湖が一人の土左衛門(水死体)を釣り上げました。
釣り竿をにぎり満足げに亡くなっていたその人は、釣りにすべてをささげた人だったのです。
腕のよい大工であるにもかかわらず、仕事よりも家族よりも釣りを優先し、それにのめりこんでいきました。
最後は破滅してしまうのですが、自らの釣技のすべて記した本を書いて亡くなります。
釣りは、酒よりもばくちよりも、色狂いよりも悪い地獄道だ。
この釣り人は、生前そう自虐していました。
しかし、その生き様を津軽をはじめ釣りをたしなむ者たちは、不幸とはいいません。
釣り人として、一つのうらやましい生き方といいます。
ひょんなことから三宅島に遠島を申しつけられた絵師朝湖は、釣り禁止の江戸から離れ自由に釣りができるようになります。
しかし、それに満足はしません。
仕事や生活がうまくいっていたからこそ、釣りが楽しかったのだ。
そう気づいて朝湖は涙をします。
綱吉亡き後、許されて江戸に戻った朝湖は、かつて基角と楽しんだ釣りを描きます。
それこそが幸せな日々だったのでしょう。
5 総評
伝とあるとおり、津軽采女の伝記のようでありながら、釣りに関わった人々の群像劇になっていました。
そして、人生において釣りとは、ということを問い掛けてきます。
しかし、これは釣りに限るものでもないでしょう。
何かに打ち込んだ人は、その打ち込んだものと人生について考えるものです。
天職となるのか趣味となるのか、単なるひまつぶしであるのか。
人それぞれですが、それが人生の多彩さなのだと思います。
津軽采女という人は後妻をもらって子をもうけたのですが、自分よりもはやく子も孫もなくしています。
また、出世も逃してしまった人です。
そういう人生でも釣りを杖にして生きた。
物語のおもしろさとは別に、自分の人生を考えてしまう小説でした。
釣りに興味のない方にも、お薦めできる名作です。