大人の発達についての本だと思い、本書を手にしました。
タイトルは「おとなが育つ条件ー発達心理学から考える」です。
読後の感想はこうです。
がっかり。
なぜそう思ったのかを書きます。
本書の最初に発達心理学の概論が書いてあります。
書いてありますが、大人の発達について観念的というか可能性というか希望的信条を述べているだけで実態はありません。
児童心理学とか青年心理学とか、ステージごとに区切られていた時代、老人の心理学は徐々にできなくなっていく過程を追うものでした。
そうじゃない、人間は生涯発達するんだ、その機能変化を追うんだ。
という信念で発達心理学が提唱されたわけなんですが、じゃあ大人は具体的にどのように発達しているの?ということには答えられていません。
本書も知能検査で測ることのできない実践的知能というものがあると提唱しているだけです。
もしかすると、実践的知能の系統的網羅的研究成果があるのかもしれませんが、本書では示されていません。
こういう知能もあるという可能性の話です。
こういった発達的「成長」の述べるかわりに、大部の頁を費やしているものがあります。
男女の性役割です。
専制的夫と忍従の妻という役割の変化。
これについて相当述べているのです。
いや、性役割のついて私は保守派ではありません。
女性の権利拡大には賛成する方です。
ですがですね。
それは社会学の問題であって、発達心理学の問題じゃないんです。
どうも、家事をしない男性が認識を改め「発達」し、進歩し、家事をするようになった。
そんな信念がそこかしこに見えるのです。
題名と合わせて考えれば、それが「育つ条件」なのかと。
いやもうなんというか、羊頭狗肉ここに極まれり。
これのどこが発達心理学なのでしょうか。
男尊女卑の社会、江戸時代の武士などは、大人になっても発達していなかったといえるのでしょうか。
宗教で位が上がるような変化を「発達」とはいわないでしょう。
いや口が過ぎました。
学問を学んで知識が増えたり思索が深まったりすることってあります。
それを学問的「成長」ということはあっても、発達とはいいませんよね。
もっと簡単にいって、小学生が算数ができるようになっていくことを学習とはいいますが発達とはいいませんよね。
私がいいたいことは、本書で述べていることは「発達」ではないということです。
そして、これが大人の発達という具体も提示されていないということです。
私のがっかりはこんな感じです。
心理学はどこにいったのでしょう?