1 はじめに
今日は三が日の最後です。
正月もあっという間でした。
最後の日に年賀状のお返しを書きました。
今日は年賀状について思ったことを話します。
2 楽しみだった年賀状
私は小学生の高学年くらいから年賀状を書いていました。
そのころは,大人になったような気がしたものです。
小学生の頃は,10枚も書かなかったと思います。
学校で住所を教え合ったりしていました。
もう教えているので,誰から届くかも分かってます。
それでも楽しかった思い出があります。
中学生になってからは,女子からももらうようになりました。
まあ,年賀状だけなんですけど。
でも,楽しかったような気がします。
高校,大学でもそのころの友人と年賀状を送り合っていました。
楽しみ方は変わらなかったと思います。
3 ルーチンワークになった年賀状
就職してからは,同僚上司に出すことが多くなりました。
まあ,仕事上のあいさつです。
楽しくはありません。
パソコンで作り,一筆直筆であいさつを書いて投函する。
元日に届くように,〆切りに追われながら出します。
年末の仕事と重なり,もう業務と変わりませんでした。
もう楽しむことはありません。
50枚を超えるともう作業です。
出してはいましたが,もうどうでもいいものとなりました。
4 震災後
私は,震災の年に年賀状を出しませんでした。
寒中見舞いも出しませんでした。
正直な気持ちをいうと,地域全体が喪に服したようなものだったので,お祝いの挨拶状を出す気になれなかったのです。
1年おいて翌年は出しました。
そうすると,1年出さなかったことで私に年賀状を出さなくなった方が増えました。
よく考えれば,1年で一度も会わない会えない方が多かったです。
まあ,会う方もいました。
そこで,震災中のことを振り返りました,
励ました方,助けてくれた方,そしてこちらからの助けた方。
親しいと思っていたのに,何の連絡もしてこなかった方。
それぞれに事情はあったのでしょう。
年賀状が仕事の一部のようになってしまったことで,もうこういうつき合いはいいのだと思いました。
お互い楽しくないのであれば,やめていいでしょう。
こんな気持ちです。
従って,年賀状を自分から出すことはやめました。
5 最後に
年賀状という風習自体を否定するつもりはありません。
自分が楽しめた時期があったことも確かです。
しかし,もういいやという気分になりました。
それでも,届けていただける方には返事を出すことにしています。
年賀状じまいのあいさつはしないことにしました。
そんな大げさなものでもないと思うからです。