「これからの日本/これからの教育」という本を読みました。
2017年11月に刊行された本です。
著者は前川喜平さんと寺脇研さん,文部科学省事務次官だった方です。
実は対談をまとめた本です。
この2名は,文部科学官僚というより日本の官僚としては異質な方で,政府の考えを代弁する方ではありません。
自分自身の考えを述べていて興味深かったです。
本が刊行されたのは第二次安部政権のころですから,今とは環境が異なります。
そういう意味では,情報が古いといえるでしょう。
でも,なかなか示唆に富んだ意見を述べていると思います。
感想というか本を読んで考えたことを述べたいと思います。
印象に残ったことは,お二人とも日本全体の教育をどうするかを考えていることです。
教育は,みんなが自分の体験として受けています。
なので教育を語る方は,自分の経験を踏まえて語ることが多いですね。
それは,当事者だったという点では説得力があるのですが,逆に個人の体験に引っ張られすぎていて俯瞰できていない論が多いという印象があります。
その点このお二人は,行政の№2を務めただけあって全体をよく見た考えをお持ちだと思いました。
生涯学習を中心に述べている点はなるほどと思いました。
さて,以前日本の高校で英語を教えていたアメリカ人に,こう話されたことがあります。
日本の高校は,できてもいない分かってもいない生徒を卒業させている。
それはおかしい。
こういう意見です。
その時はうまく答えられませんでした。
確かに日本の教育は履修主義なので,その学校の教育課程を習得していなくとも卒業できます。
義務教育程度しか理解できていない大学生について,時々週刊誌で話題になりますね。
そのアメリカ人の言い分は,卒業を資格として考えれば一理あります。
しかしですね。
これを徹底すると,ろくでもないことになると思うのです。
以下,今もうまく説明できませんが考えを述べてみます。
日本の高校生のおそらく半分以上は,高校レベルの数学や英語を習得していないと思います。
例えば,大学入試の共通テスト,今は名前が変わったのかな,の数学や英語を80%正解する人はどのくらいいるのでしょう。
高校生が高校に見合う学力という点では,到達していないと私も思います。
じゃあ,高校に入れなきゃいい,卒業させなきゃいい。
そうはいかないと思うのです。
高校の役目というのは,それだけではないと思うのです。
またこの習得主義を徹底したら,中学校などの義務教育を終えられない人もでるわけですし。
つまり,高校で何を教え,日本人としてどう育てるかが問題になってくるわけです。
生涯学習を中心に述べているのは,とても意味があると思いました。
つまり,生涯学習していこうという人を育てるという視点で高校の役割を考える。
こういうことです。
となれば,学習意欲とか向上心とかそういうことを持つことや自分が学びたいと思った時の学習方法もある程度知っておくということが大切になるでしょう。
徹底して覚えさせたけど,もうこんな学習はしたくないと思う人を育ててもいいとはいえなくなると思います。
また,自由競争が中心の新自由主義的な教育制度では,よくならないと思います。
経済力のない人や地方が切り捨てられるだけでしょうしね。
一将功成りて万骨枯るは,教育ではダメだと思うのです。
さて,2022年の教育の問題って,私は不登校やニートだと思います。
別に学校教育がすべてではないから通わなくともいいんですけど,問題はそこじゃなくて,学びたくない自由をどうするかなんですね。
ある教科が自分の人生に必要ないから学びたくないは建設的だからいいんですけど,何もかも学びたくない,遊んでいたいって人をどうするかですよね。
たいてい,そういう人の好きなことってポップカルチャーの消費だったりします。
なので,ポップカルチャーを作る方になればいいんですけど,たいていそうはなりません。
一時,不登校は登校刺激をしないで見守るみたいことを論じる人が多くいました。
本人の自主性に任せるという考えです。
で,そうしたらニートになったと。
みんながみんなじゃないんでしょうけどね。
ニートが増えたことは事実としてあります。
これは,ある意味予想できただろってところでしょう。
ニートも少数ならいいんでしょうけど,まあその家族は大変でしょうが,ある程度以上の割合になったら社会が変わるでしょうから,問題になるでしょうね。
考えがあって学校以外の道を自分は歩くみたいな人は,別に心配いらないと思うのです。
ただ毎日負担少なく暮らしたいというだけの人は,その生活は楽だしある意味いいとも感じるのですが,そんな暮らしを全員ができるわけにはいきません。
これを教育としてどうするかですね。
家庭での学習を認めていくのはいいし,そのためのガイドラインを策定するのもいいと思います。
逆にそうしていくしかないのかなとも思います。
決して全員を救える策ではないと思いますが。
文部科学省って,教育全体を所管しているのですけど,まだまだ学校教育を中心に考えているところがあります。
公民館での社会教育もやってはいますが。
だから,学校教育からはみ出る人が一定数を超えた機能しなくなるような気がします。
確実にはみ出す人は増えるでしょうし。
現在重点化している英語を話すとかコンピュータを使えるとかそういうのも必要なんでしょうけど,まずは自分で自分の人生を切り開いていく力や意志を持たせることが大切なんじゃないかなあ。
そんな風に思いました。
この本で述べられていることも,急激な少子化のためにちょっと古くなってきています。
地方とか少子化で学校維持できなくなってるし,合併したって学区広すぎてスクールバス出すのもたいへんだし,地方自治体が教育にお金使わないので貧する鈍するだし。
今後,ほんとにどうするのかなあ。
不登校対策とは別に,登校するのやめてホーム・スクーリングとかになるのかなあ。
図らずもコロナでそれに近いことしなくちゃいけなくなりましたし。
とはいえ,家庭で学校の勉強するっていうのも理想どおりにはいかないかなと思います。
女性の社会進出というか労働力として期待しているから,日中子供だけの家庭も増えるでしょう。
そうするとホーム・スクーリングを子供だけでしなくちゃいけなくなるだろうし,とすれば意志の弱い子は勉強から逃げるでしょうしね。
さてさて,どうすべきか。
OBとなった事務次官だけが発進するんじゃなくて,現役のみなさんがどう考えているのか聞いてみたいです。
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