解剖学者の養老孟司先生とアナウンサーの古舘伊知郎さんの対談本です。
この二人が記憶について語るというのは、おもしろい試みですね。
養老先生は、医師ですので関係するとは思いますが、記憶は精神科か心理学の範疇だと思います。
養老先生のコメントも、専門的な内容もありますが、日常的な体験を基にしたものが大半でした。
二人ともとてもおもしろい内容を語っています。
さて、タイトルにもあるように、記憶はウソをつきます。
ウソをつくという意思を持って行っているのではありませんが。
正確にいえば、記憶は変容するし正確でもない、ということになります。
そうなんです。
記憶は無意識のうちに変容していくものです。
なぜなのでしょう。
これは、人間のそもそもの性質に関わるものです。
人間は、合理的に物事をとらえようとします。
これは、人間が理性的な存在だからというわけではなく、合理的にとらえた方が脳の負担が少なくなるからです。
省エネルギーで済ませようとしているのです。
ですから、必要ではない情報は省きますし、パターンに当てはめて物事を理解します。
このパターンの当てはめ過程で記憶が変容してくるのです。
その出来事特有の事柄が省かれ、自分がよく知る何かに沿って変容します。
本書では、この過程を「ストーリーを作る」と表現していました。
こういう事例は、数多く報告されています。
報告された事例では、一様に「自分の記憶が違っているなんて信じられない」という反応ばかりだといいます。
その出来事を経験している家族や友人に確かめる人がほとんどだとか。
分かる気がします。
私自身はそういう経験がまだないのですが、経験してないはずのことをあたかも経験したかのように話す人を見たことがあります。
物理的に経験できるはずもないのですが、滔々とお話ししていました。
その方から、ウソをついているという感じをまったく受けませんでした。
これが人間なんですね。
体の記憶は忘れないという話も印象的でした。
記憶喪失の方、物忘れが激しい方も自転車の乗り方は忘れない。
そういう話題です。
これもほんと不思議ですね。
水泳などもそうです。
しかし、体の記憶でも忘れるものもあるといいます。
ゴルフのスイングなどです。
養老先生の見解では、全身を使ったものは忘れないけれど、体の一部を使っているものは忘れることもあるのだとか。
そういうこともあるかも知れません。
私自身では、ギターやウクレレなど体の一部を使ったものも忘れたことはないのですが。
まあ、弾いていないとヘタにはなります。
ここで特におもしろかったのは、忘れたことを思い出されるのに全身運動を使うという事例です。
ロシアの思い出されるために、急に水に落として泳がせたということがあったとのこと。
思い出したそうですが、ちょっとやりたくない方法です。
催眠術とか薬物で思い出されるということについては、養老先生は否定をしていました。
思い出した記憶は、その場で作った「記憶」かもしれないし、その可能性を否定できないとのことです。
先のストーリーを作るを踏まえても、そうなんだろうなあと思います。
また、たくさん覚えなければいけない時に使う「場所の方法」がローマンルーム法という名前であることも初めて知りました。
その他、ところどころ脱線しながらおもしろい話が続いた対談でした。
心理学や記憶に興味がない方も、軽いインタビュー本と思って読んでみてください。
新しい知見がたくさん得られると思います。