1 座長を降りる小薮さん
小薮千豊さんが吉本新喜劇の座長をおりるそうです。
吉本新喜劇を見たことはありません。
しかし小薮さんはよい役者だと思います。
ドラマ「陸王」の演技に感心しました。
さて,その小薮さんが座長を降りると見方を変える人が必ず現われると話したそうです。
今日は,人の見方について話します。
2 肩書きで見られると
社会にでると好むと好まざるとに関わらず肩書きを持ちます。
人を見る際の手がかりになります。
社長や部長と聞くと,それなりの方なのだろうと思います。
CEOとかの新しい表現だとつかみかねることもありますけれど。
肩書きは,誰かにその方を知らせるためには有効です。
しかし,肩書きには罠があるんですね。
罠にかかるのは,肩書きを見る人ではありません。
肩書きで見られる人です。
肩書きで見られ続けると自己認識が変わってくるのです。
3 小薮さんの場合
小薮さんはコンビを解散してから新喜劇に入ったそうです。
そうすると今まで親しかった先輩が相手にしてくれなくなったとか。
新喜劇で端役をしているときは,ずっとそんな感じだったそうです。
そして,少しいい役になると回りの態度が変わってきたそうです。
愛想がよくなってきたのだとか。
そして座長になります。
そうなるともう立てられてばかりになったとか。
座長を辞めると,態度が変わる方がきっとでるだろう。
小薮さんはそう話します。
4 肩書きは自分ではない
このエピソードからどんなことを感じるでしょう。
人情が薄い人もいるものだ。
そんな冷たい人とはつき合いたくない。
こういうことを感じた方もいることでしょう。
実は,私ももっと小規模ながら似たような経験があります。
人から注目される部署にいた時のことです。
他部署に用事があって赴いた際は,そこの上職にも丁寧に対応してくださいました。
しかし,そこから他部署に異動するとまったく変わります。
それ相応の対応を受けるだけとなりました。
このことも踏まえて考えると,問題は態度を変えた人にあるのではないと思うのです。
丁寧な対応を受けていた時の私の認識が誤っていたのです。
肩書きは自分ではない。
端的にいえば,こういうことです。
人は肩書きに対する社会的な役割を演じていたのです。
その役割は社会的に求められているものです。
演者には,何の問題もありません。
肩書きが自分だと思ってた私に問題があったのです。
5 人からの見られ方
人からの見られ方はいろいろです。
社会生活を送っている以上,社会的な見方をされることは仕方がありません。
もちろん,実害があれば修正を試みなければいけないでしょう。
しかし,そうでなければそんなものだと思うのがよいと思います。
他人の心をコントロールすることはできません。
できるのは自分の心だけ。
そう思います。