「いじめに負けない心理学」を読み続けています。
そんなに文量がある本ではないのですが,ちょっと内容が重いのでなかなか読み進められません。
「いじめに負けない心理学」という題だけあって,いじめる側が出てきます。
これが人間に嫌な面を的確に表現しているので,何となく嫌な気持ちになって読むスピードが遅くなるのです。
でも,現実なんだと思います。
さて,その中で特に心に残った用語があります。
「感情的恐喝」という用語です。
この言葉で考えたことを述べます。
恐喝は強い言葉や暴力を利用して相手にいうことをきかせます。
感情的恐喝は,このような言葉を使いません。
代わりに使うのは「罪悪感」です。
相手の引け目や弱みなどにつけ込むのです。
この説明を読んだ時,これはあるなあと思いました。
相手をコントロールする最も卑怯なやり方だと思います。
その卑怯さを見せないように行うのが狡猾なところです。
相手に,こんなことを訊いたら悪いなあとか,断ったら気分を害するかなあと感じさせるところが要点ですね。
自分がよく思われたいという気持ちももちろんあるのですが,どちらかといえばその場を丸くおさめたいという気持ちの方が強いでしょうね。
相手を信頼しているのはよいことだと思い込むのも特徴です。
実際は,相手を信じていたりしません。
不安なんです。
でも,口には出せない。
そんな状態がほとんどだと思います。
一方,感情的恐喝を使う方はどうかといえば,相手の内面なんて気にしちゃいません。
本で例に挙げている「家族だから」「友達だろ」なんて言葉にそれほどの意味を持たせてはいません。
要は口から出任せです。
相手が要望を受け入れてくれればいいので,相手が動くような言葉を探しているだけです。
家族や友達にそれほど重要な意味を持たせていないのです。
家族や友達だとは思っているかもしれません。
しかし,そいつにとっての家族や友達なんて重要なことじゃないのです。
こういう人って,ほんとうにいます。
私も何人も会ってきました。
人間には,相手も自分と同じ感情が生じていると想定する機能があるので,自分を分かってくれると思いがちですが,ある種の人間にはそれが通用しません。
それが分かるのは時間がかかると思います。
私が分かったのも,自分が失敗してからでした。
もう一つ感情的恐喝で気になったことがあります。
それは,ある種の人はだまされやすいという指摘です。
「誰からも真剣に相手にされないで育った人」はだまされやすいというのです。
これは分かりますね。
育ったという過去形になっていますが,お年寄りが近づいてきた悪い人にだまされるのもこれでしょう。
さびしさをうそでも埋める人にだまされるのです。
よくあることだと思います。
いじめは仲間内で起きるといいます。
ほんとは仲間ではなかったのでしょう。
でも,いじめられる人にとっては数少ないコミュニティだったに違いありません。
外から見ると,仲間に見えた。
こういうことなんだと思います。
この本は,人間の弱さをどんどん指摘するので,読み進めるのに意志が必要です。
少なくとも私にはそうでした。
ですが,読む価値はあると思います。